INTERVIEW: フィオナ・アムンセン
アオテアロア ニュージーランド在住(※編注:アオテアロアはマオリ語でニュージーランドのこと。現在国名呼称について論争があり以下、作家の表記に従う)の作家フィオナ・アムンセン。彼女は戦争などのドキュメンタリー映像や写真のイメージというものが、いかに歴史的経験に基づいた現在と繋がっているかを探り、能動的なケア(思いやり)の関係を可能にするかを探求するアーティストだ。今回東京ビエンナーレで予定しているプラン「引き継がれる息遣い」では、「落語」、「映画制作」、合気道の「残心」という一見無関係に見える3つを要素として、日本における戦争の歴史を引き継ぎ、いかにケアしていくかに挑戦する。作品の構想とプロジェクトの進め方、彼女が作品制作の方法について話を伺った。
インタビュー・文:上條桂子 翻訳協力:宮内芽依(事務局)
フィオナ・アムンセンのプロジェクトとプロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/our-remaining-breath/
公式サイトはこちら
http://fionaamundsen.com/
見出し画像《A Body that Lives》2017年、「A Body that Lives」展より、ST PAUL St Gallery、オークランド工科大学、Photo by Sam Hartnett
東京ビエンナーレ(以下、T):アムンセンさんの作品では、人類の歴史の中でも第二次世界大戦に関することを扱っているものが多いように思いますが、第二次世界大戦についてリサーチを深めようと思われた経緯を教えてください。
フィオナ・アムンセン(以下、A):第二次世界大戦、特にアジア太平洋戦争が、アジア(日本)と太平洋(アオテアロア ニュージーランド)の両方の地域における現代の地政学をどのように定義したのかに非常に興味があります。 要するに、私たちは今もこの歴史の波紋の中を生きているのです。私が子供の頃は、ヨーロッパで起こった戦争に自国が関与しているということしか教えてもらえず、アジアと太平洋で何が起こったかの歴史については、ほとんど注目されていませんでした。これは、アオテアロア ニュージーランドがイギリスによって植民地化されたためであり、その結果、私たちの教育システムは、アングロ・ヨーロッパ系の歴史をより重視していました。その偏見(と人種差別)を批判する方法として、私はアオテアロア ニュージーランドが地理的に位置する場所にはるかに近い第二次世界大戦の歴史に注目し始めました。 つまり、この地域に影響を与えた植民地・帝国体制に興味を持つようになったのです。
私は、この歴史が現在どのように存在しているのか、また、社会倫理的に責任ある方法で追悼するために何が求められているのかを問うことに非常に興味があります。 私の作品では、この困難な歴史をどのように視覚化するかだけでなく、現在の文化において不可避に必要とされている人間対人間のケアについて、歴史が私たちに何を教えてくれるのかを探求することを目的としています。
T:今回取り組まれる作品では、「落語」「映画制作」「残心」という3つのキーワードが登場しましたが、この3つが浮かび上がった経緯を教えてください。落語や合気道はもともと関心があったのでしょうか?
A:私はレンズ越しにあるイメージ、つまり写真や映像制作に取り組んでいます。 映像制作をする中で、マオリの映像作家バリー・バークレイの「カメラを聞き手にするにはどうすればいいのかをさらに探求したほうがいい」という考え方にとても惹かれています。(※01) この方法では、イメージを通して文字通り目に見えるもの、あるいは知覚できるものに焦点を当てることに抵抗し、その代わりに、イメージを第三者として見た時に、そのイメージへ意識を高める能力、つまり見ることと同じくらい集団的な傾聴を可能にする能力に注意が向けられています。バークレイの「聞くカメラ」が、私たちが必然的に知っていることや見ることのできるものを超えた繋がりや関係性をどのように誘発するのかに興味があります。この繋がりを誘発するカメラというのは、文化間、世代間を超えてある今の関係性が、歴史的な植民地主義の文脈、帝国主義の暴力の文脈の中で、特に重要な意味を持っています。
※1 Barclay, Barry. Our Own Image: A Story of a Māori Filmmaker. Minneapolis: University of Minnesota Press, 2015.
合気道の稽古を始めて4年になります。まだまだ初心者だと思いますが、合気道の練習は私の人生のすべての側面に影響を与えています。武道としての合気道は非戦闘的であり、暴力や攻撃性を育成する代わりに、自分自身を克服することが主な目的に含まれます。合気道はしばしば「生命エネルギーとの統一の方法」と翻訳されます。修行をしていく中で、「残心」の概念を知り、とても惹きつけられています。残心とは、「心・息・体」を残すことを意味します。合気道におけるこの概念の目的は、実行されたばかりの技術のより大きな意識を練習することであり、言い換えれば、創造された共有の経験の連続性と体現意識を開発することです。
稽古を重ねていく中で残心を理解するようになると、カメラも同じように機能するのではないか、特に複雑で難しい歴史を扱うことと関係するのではないか、と考えるようになりました。東京ビエンナーレのプロジェクトの一環として、1945年3月に起こったアメリカによる東京大空襲という第二次世界大戦の歴史との関係だけでなく、撮影や編集の面からも「残心」についての考え方を探っています。
落語は想像力を頼りながらストーリーを語る手法を取っていることから、ずっと興味を持っていました。必然的に目に見えるものや知られているものを超えた繋がりや関係性の形を誘う、バークレイの「聞くカメラ」と合気道の「残心」の間には、興味深い類似点があると思います。
2017年2月6日撮影、江東区森下の新大橋通りで撮影された小さな木
T:アムンセンさんが作品を構想する上で、大切にされていることは何でしょうか?
A:作品制作をしていく中で関わりを持つ人たちが、常に一番大切な存在だと考えています。日本に対して外国人である私ということをとても意識して、人々に辛い経験を共有してもらうことをお願いしています。 また、私は、家族的、文化的な繋がりのない痛みを伴った経験を扱うために、カメラ(これは侵略的です)を使用しています。
そのため、物語を共有してくれる人たち(と私のカメラ)とのそこで進行していく関係性がとても大切です。 この関係性を作品の中にどうやって伝えていくかがとても興味深いです。作品が関係する人たちの人間性や、お互いを思いやるために必要なプロセスを教えてくれる機能を持ち、命と生きるための神聖な責任を負うことが大切です。自分の作品が、痛みを伴う歴史と倫理的につながるための招待状としてどのように機能するかに興味があります。なので、この考えのもと、一緒に探求をしてくれる人たちに私自身はコミットしています。
作品を作るときによく思い浮かべる、美しいマオリ(アオテアロア ニュージーランド先住民族)のことわざがあります。
He aha te mea nui o te ao
What is the most important thing in the world?
世界で一番大切なものは何か?
He tangata, he tangata, he tangata
It is the people, it is the people, it is the people
人であり、人であり、人である。
T:今回は「東京」の街にダイブするソーシャルダイブの枠にご参加されますが、東京という街のイメージ、ひいては現代日本のイメージをお聞かせください。
A:東京(と日本)に対するイメージは重層的です。 都市としての東京が、歴史的な過去、現代の文脈における今日、そして未来のいずれにも特権を持たないことに興味があります。東京のように人口の多い都市が、歴史的、現在的、未来的な時間がリニアに経験されないところで、どのように機能しているのかに魅了されています。
T:東京ビエンナーレというイベントにどんなことを期待していますか? 各国の様々な芸術祭に参加されていると思いますが、東京ビエンナーレの特徴、他の芸術祭と違う部分は何でしょうか?
A:東京ビエンナーレが「ソーシャル・ダイブ」のプログラムをオープンコールで行なったという時点で、これまでに参加してきた他の芸術祭とすでに異なっていると感じました。このような包括性のあるプロジェクトの実施が可能なアートイベントは他に思いつきません。軽やかに平等主義的なアクションだと思います!
COVID-19のパンデミックによって生み出された不確実性の中で、どのように進めていくかという議論においても、公平感を感じることができました。108名の参加者が一同にZoomにて、非常に不確実な世界でどうしたらいいのかを話し合ったのはとても素晴らしかったです。
東京ビエンナーレをきっかけに、協力的で刺激的な環境において新たなシリーズ作品を展開していくことを期待しています。また、他のアーティストとの出会いや作品を見るのも楽しみです。作品を発展させるために、東京に行くのをとても楽しみにしています。
T:発表される予定の作品「引き継がれる息遣い」の現在の状況を教えてください。どんな作品になりそうですか?
A:東京ビエンナーレでの作品は、第二次世界大戦中の1945年3月の東京大空襲の体験をもとに制作された映像作品で構成されます。合気道や落語をやっている人たちと一緒に、これらの経験を伝えていきたいと思っています。
来年の東京入りに向けて、ここアオテアロア ニュージーランドで地元の落語家と一緒に準備を重ねています。ストーリーテリングについて議論をしたり、撮影の実験を行ってきました。所属する合気道道場でも、同じような実験をしています。特に、合気道のトレーニングに関連した様々な呼吸法のいくつかを録音しています。
このメールインタビューに回答した時点(2020年8月21日)では、オークランドはCOVID-19の対策により二度目のロックダウン実施となり、現在、2~3週間は自宅にて待機となります。ロックダウンが終了したら、またいろいろと撮影や録音の実験を行う予定です。
《It Was a Cave Like This》2018年、「A Body that Lives」展より、 at ST PAUL St Gallery、オークランド工科大学、Photo by Sam Hartnett
T:コロナが世界中に猛威を振るっている現在、不便を強いられていると思います。アムンセンさんは、コロナをきっかけにどんなことを考えましたか?
A:もう本当にコロナのある生活って不便! だけど、このウイルスは人間同士のケアという点で、人類に重要な教訓を与えていると思っています。 COVID-19がどのようにして私たちにお互いや地球を気遣うことができるのか、新しく、また異なる方法で教えてくれるのではないかと思います。
理論家のサンドラ・ロジエによるエッセイ『POLITICS OF VULNERABILITY and Responsibility for Ordinary Others』(2016年)を読んでいるのですが、「ケア[......]は、ごく普通の現実に対応している:人々が互いに世話をし、世話をし、それゆえにこの種のケアに依存することが世界の機能としてある事実」という内容があります。COVID-19という特別な文脈において、人類は、日常におけるよりよいケアの行為を学ぶことができるのではないかと考えます。
アオテアロア ニュージーランドでは幸いなことに、政府は経済だけを優先するのではなく、国民の福祉を優先しています。そこでもお互いを気遣ったり、親切にしたり、支え合ったり、そうしたシンプルな行為の例はたくさんあります。
T:コロナ以後、人の移動が厳しくなると言われていますが、アムンセンさんの作品にはどんな影響が考えられますか? また、その対策としてどんなことを考えていらっしゃいますか?
A:COVID-19はまだ状況は流動的なので、作品への影響を予測するのは難しいです。ソーシャルディスタンスを保つことで、作品作りは安全にできると考えます。そしてその習慣を用いて、作品の設置や鑑賞にまで拡張し対応することができると考えます。
T:作品を発表することで社会にどんなインパクトを与えられると考えていますか? また、アートにはどんな力があると思われますか?
A:私はアート作品が社会の批判や、良心を反映するものとしていかに機能するかに興味があります。言い換えれば、社会自体が持つ信念、歴史、自身を語るための物語に対して批判的な問いを投げかけることができる、重要な内省的空間を提供することができると考えます。芸術作品は、社会的な不平等へのまなざしを促し、お互いの違いを理解し、それを認め合うための方法を促すことができます。私にとって、こういったことがアートが持つ力であると感じていて、私たち自身のことを新しく、また違う角度から見つけることを教えてくれます。
複雑な歴史が今という時間の中でも存在感を保つことができるような、安全性で社会性・倫理性の責任がある空間を確立することを私は作品を制作することで目指しています。 辛い歴史やその原因となるイデオロギーを知ったばかりの人やその時系列の中に生きる人との間に、世代を超えた繋がりをもたらすことで、社会に影響を与えることができたら嬉しいです。
フィオナ・アムンセンのプロジェクトとプロフィールはこちら
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