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かえってきた青〜モネが晩年に抽象画に移行していった訳とは。

クロード・モネの後期の絵画が抽象的なスタイルを取り入れたのは、彼の目の問題、特に白内障によるものです。白内障が進行すると、目の中のレンズが曇ってしまい、物がぼんやり見えたり、色の見分けがつきにくくなります。この影響で、モネが描く絵は以前とは異なる方法で色や形を表現するようになり、その結果、彼の作品はより抽象的な方向へと進化していきました。

モネの晩年、家族を失う悲しみと自分の健康の問題に苦しみながらも、彼は絵を描くことを続けました。彼は大切な人である2番目の奥さんアリスと、その後に息子のジャンを亡くし、これらの出来事はモネにとって非常に辛いものでした。

モネは目の問題、特に白内障に悩まされ始めました。白内障が始まると、彼は治療のためにロンドンへ行きましたが、手術を受けることなく、新しいメガネをもらうだけでした。この時から、彼の目は徐々に悪くなり、その影響で絵のスタイルも変わってきました。モネの絵には以前より太い筆跡が見られるようになり、使う色も暗く、濃いものに変わっていきました。白内障が進むと、特に青色を見分けるのが難しくなり、モネの見ている世界は黄色や赤茶色のように変わってしまいました。

Claude Monet《The Rose Walk, Giverny》1920–1922, Musée Marmottan Monet

モネが目の問題に直面しても、彼の絵画を続けるための工夫は止まりませんでした。彼は絵の具のチューブにどんな色かわかるようにラベルをつけ、絵の具を使う順番を間違えないようにパレットを整理しました。さらに、目に強い光が当たらないように麦わら帽子をかぶるなど、目の見えにくさに合わせていろいろな対策を講じました。これらの工夫によって、モネは目が不自由になっても、記憶や想像を頼りに、大胆で鮮やかな色や形を使った絵を描き続けることができたのです。

オノレ・ドーミエとメアリー・カサットら、他の画家たちの手術が上手くいかなかったことを知って、モネは最初は白内障の手術を受けることにとても躊躇していました。彼は、見え方が少し変わることを理由に、絵を描くことを全くできなくなるリスクを取るよりは、現状の視力で描き続ける方がいいと考えていたのです。でも、最終的に1923年に手術を受ける決心をし、その結果は成功でした。手術後、モネは色を以前とは違って見ることができるようになり、「本当の色」を感じられるようになったと述べました。特に、手術した右の目では青色が鮮やかに見えるようになり、この新しい視覚体験は彼の作品にも反映されました。以前の絵に手を加え、青い色彩を強調することで、彼の視覚がどのように変わったかを示しました。

Claude Monet《Wisteria, 1920–1925》Kunstmuseum Den Haag

モネは目が不自由になりながらも、自然の美しさを描き続けることに夢中になりました。この時期に描かれた彼の絵は、見る人によって様々な解釈ができる、より個性的で開かれたスタイルを持っています。これは、モネが実際に見える自然から一歩引いて、感じたことや感情を直接絵にするようになったことを示しています。モネのこの時期の作品は、目の問題を乗り越えた彼の芸術探求と、より抽象的な表現への移行を表しているのです。



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