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ダヴィッド『マラーの死』〜なぜ彼はフランス革命の体制側に接近したのか。
『マラーの死』は、ジャック=ルイ・ダヴィッドが1793年に描いた絵画です。この作品は、フランス革命の指導者で、ダヴィッドの友人でもあったジャン=ポール・マラーが1793年7月13日にジロンド派のシャルロット・コルデーに暗殺された後、風呂で死んで横たわっているマラーを描いています。
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コルデーは貧しい貴族出身のジロンド派支持者で、九月虐殺を理由にマラーを非難していました。彼女は、カーンに滞在していたジロンド派の情報が書かれたメモを持っていたため、コルデーはマラーの部屋に入る許可を得ました。皮膚炎を患っていたマラーは、治療のためにオートミールを入れた浴槽に浸かりながら仕事をしていました。コルデーはその浴槽でマラーをナイフで刺し殺し、現行犯で逮捕されました。その4日後、彼女はギロチンで処刑されました。
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マラーが殺されたとき、彼は「人民の友」という新聞の校正をしていました。その血に染まったページは今も保存されています。絵画では、マラーが持っているメモに「あなたの慈悲を受ける資格があるなんて、私はとても不幸だ」と書かれています。これは実際のコルデーの言葉ではなく、彼女が言ったかもしれない内容を基にした架空のものです。
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ダヴィッドは、これまで王政とカトリック教会に結びついていた神聖なイメージを、新しいフランス共和国に取り入れようとしました。彼はマラーを革命の殉教者として、キリスト教の殉教者のようなスタイルで描きあげました。
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