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モネ『散歩、日傘をさす女性』モネが描いた「日傘の女性」に秘められた愛と切なさ


『散歩、日傘をさす女性』は、クロード・モネが妻カミーユと長男ジャンを愛情深く描いた作品です。この絵画は、日常の幸せなひとときと、モネが愛する家族への思いを象徴していると考えられます。

クロード・モネ『散歩、日傘をさす女性』1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

当時のモネはアルジャントゥイユに住み、印象派の技法を追求していました。この作品は、自然の中で過ごす家族の様子を即興的に捉えたもので、日傘をさすカミーユの姿は、モネにとって家庭の安らぎと自然への親近感を表しています。特に、空や草原、衣服に施された光と風の描写は、彼が日常の一瞬の美しさをどれほど大切にしていたかを物語っています。

モネの初期作品を彩ったカミーユ

1865年、18歳のカミーユ・ドンシューは、当時25歳でまだ無名の画家だったモネと出会います。貧しい家庭に生まれたカミーユは、その美しさと優雅さで知られ、印象派画家たちのモデルをしていました。彼女はすぐにモネのお気に入りのモデルとなり、やがて恋人関係に発展しました。彼女を描いた緑のドレスの女は高い評価を受けますが、二人は生活費に困窮し、友人たちの助けを受けながら貧しい生活を送りました。

クロード・モネ『緑衣の女』1866年 ブレーメン美術館所蔵

カミーユが妊娠すると、モネの父と叔母は二人の交際を強く反対し、愛人と私生児を捨てることを条件に経済的援助を提案しました。モネは一時、別れたように見せるため叔母の田舎に身を寄せ、カミーユとジャンはパリに残されます。しかし、モネは最終的に援助を振り切り、1870年に結婚。同年、普仏戦争を避けて家族でロンドンに移住し、その後アルジャントゥイユに居を構え新たな生活を始めました。

アルジャントゥイユでは、モネはルノワールやマネらと交流を深め、印象派の活動を推進します。カミーユはモネの作品に欠かせないモデルであり続け、19世紀後半にヨーロッパで流行したジャポニスムの影響を受けて制作された『ラ・ジャポネーズ』は、第2回印象派展で高い評価を得ました。しかし、次男ミシェルを出産した1878年、カミーユの健康はさらに悪化し、翌1879年、わずか33歳で亡くなりました。

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