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2年間で外国語独学環境は激変している

2年間ぐらいブログを書いていない。
さほど大きな理由があったわけでもない。仕事が忙しくなったことや、自分の書いたものをどこかに発表するということへの意欲が停滞したのだ。実際、この2年間も昔と変わらずに日記は書き続けているので、コロナによって会社、社会、家族、自分がどのように変化したかを腰を据えてまとめる気になれば、それなりの資料には事欠かない。

2年前も、外国語を学習する上でのデジタル的独学支援ソリューションのことはかなり熱意をもって書いている。当時盛んに取り上げたDuolingoも順調に成長し、米国で株式上場もし、今回のAIブームの中で、それに対応してサービスの質的進化をはかっている。

違うのは、今、僕がはまっている言語がフランス語ではなく、スペイン語になっているということくらいだ。

スペイン語を選んだのにはいくつかの理由がある。
第一に、スペインサッカーへの関心。この2年間で久保建英はリーガを代表する選手に急成長している。試合後の彼の流暢なスペイン語でのインタビューが少なからず僕のスペイン語への意欲をそそった。

第二に、翻訳家の青山南さんの「60歳からの外国語修行」の影響もある。彼は、本業の米国小説の翻訳の過程で実感した、スペイン語の米国社会への浸透という環境変化に対応して、スペイン語も勉強しておいた方がいいということで、メキシコになんども外国語学習のために訪れている。確かに、アメリカ社会ということを考えると、スペイン語というものの意味が大きくなるというのは、僕にとっても説得力のある理由だった。実際、メキシコの会社への出資を真剣に考えた時期もあるので、自分の仕事の中でのスペイン語の意味のようなものも見え隠れし始めていた。現地で生のスペイン語に触れる以上に有効な学習手段はないということは変わらないのかもしれないが、この本ではほぼ語られることのないデジタルなempowermentも馬鹿にしたものではない。

第三に、これが実は一番大きいのだが、フランス語と比べて、発音する側、リスニングする側双方の観点から見て、スペイン語は外国人に対して優しい言語だからという理由だ。フランス語、中国語(同じ意味で英語)の難点は、発語と綴りの間の不一致である。それに比べると、スペイン語は聴き取ったものを書き起こすことが比較的簡単である。聞いた通りに書き起こせばいい。だからといって、残念ながらスペイン語のリスニング力が短期間で飛躍的にあがったというほどでもない。そんなに外国語学習は甘くはない。ただ単語を書きとるということに関しては、他の言語とは比較にならないほど容易である。裏返せば、僕が発音したスペイン語もスペイン人にとって聴き取りやすいはずなのだ。実際、昔スペイン人の友人からHospitality半分もあるだろうが、お前のスペイン語はNativeのようだと言われたことがある。ただ単に書かれている文字をベタに読んだだけなのにもかかわらずの絶賛だった。

これは外国語を学ぶ側にとってとても重要なことである。フランス人にしても、中国人にしても、(語学教師を除いて)僕たち外国人の発音する彼らの母語への許容度は極めて低い。彼らが単に意地が悪いだけではなく、僕たちが判別し得ない音を彼らが発信しているということも事実なのだろう。

実際、先程の最初の理由であるサッカーということで言うならば、ポルトガル語(ブラジル語)でもよかったのだが、ポルトガル語の発音は、スペイン語に比べると、どことなくフランス語の匂いがしたのである。当然、良い意味ではない。口にこもる音が多く、聞き取りにくかったのである。Jリーグでプレイするブラジル人が多いのだから、ポルトガル語というのはその限りにおいてはとても魅力的な言語だったのだが、言語の持つ制約によって、スペイン語を選択したのである。昔スペイン語とポルトガル語はかなり近いという言葉に惑わされそうになった時期もあった。でも、フランス語とイタリア語ぐらいにはスペイン語とポルトガル語は遠い気がする。語学の天才で世界各国に友人のいる友達が、ポルトガル人の友達が自分たちポルトガル人はスペイン語を理解できるけど、スペイン人にとってポルトガル語は難しい筈だと言っていたよと教えてくれた。

2年前に比べて、外国語の学習の仕方は変わっただろうか。

AIの急激な進歩がここにも大きく影響している。

Duolingoが主要ツールであることに変わりはない。英語で学ぶスペイン語をここ2年間は続けているし、フランス語の能力を落とさないように、同じDuolingoでフランス語で学ぶスペイン語もやっている。このクロスで学ぶ外国語というのは案外いけるのである。それ以外に、らじるらじるでNHKのスペイン語講座は聞き続けているし、DuolingoのPodcastも聞いている。Podcastの良いのはTranscript(口述台本)があるので、リスニングを確認できるのだ。大事なことは聞くだけだったらNHKもDuolingoも無料である。Podcastがいろいろな国の言語での放送を提供しているので、これも役に立つ。材料には事欠かない。むしろ足りないのは時間である。

少し話は違うが、日本語から英語を学んでいるDuolingoファンには、是非、英語から別の言語へというチャネルを開くことをお勧めしたい。残念ながら英語帝国主義の世界制覇は既にかなり進んでいる。英語を起点にすれば、多くの外国語が学べるのである。僕は今、フランス語でスペイン語を学ぶというDuolingoの講義もやることで、フランス語を忘れないようにしている。以外にフランス語を忘れないだけでなく、この英語を経由しない学習にもいまだ言語化はできていないのだが、かなり本質的な意義があるような気がしている。


Duolingoでフランス語からスペイン語を学ぶ

加えて、DeepLなどの翻訳ツールの急激な進化も、僕たちの外国語学習環境を激変させた。

自己学習型翻訳AIの進化は見事で、欧米系言語での翻訳力は相当上がっている。まだ日本語を起点とする翻訳に関しては微妙なところは残っているものの、その進歩も目を見張るほどだ。

理由は定かではないのだが、メディアの種類によって翻訳の成果物の日本語のクオリティが違う。

一番、翻訳にかけて、日本語らしい日本語になるのがエコノミストである。ニューヨークタイムスの気取った英語に比べると、かなり実質的な英語なのか、圧倒的にすっきりした日本語になる。

当然、変なところや、わかりにくいところはあるものの、それは英語そのものを読んでも同じく曖昧なところだ。

この2年間で、外国語に限らず、人間の営為にAIが与えた一番大きな影響は、自国語能力の重要性の増大という点だと思う。

むだに従来型の外国語学習をするより、自分が自国語で表現できる言葉の量と質を豊かにすることが結果、グローバルに自らの発信力を上げる鍵になるのだと思う。

ChatGPT, DeepLなどを使って、自らの書いた日本語を外国語で発信するための作業的重さは圧倒的に減った。

さらに、外国語で書かれた文章を吸収する力もかなり増強されている。

結局、大事なことは自国語の操作能力なのである。

2年間の空白の結果、僕が気づいたのは、国語力の大事さだという、無駄に文科省を力付けるようなことであったのが少々気に食わないが、実感である。


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