晴れた日には「ほどよく、いいかげんで陽気な」未来が見える。
会社の在宅勤務要請を、組織全体に広めつつある。
まず、グループとしてリモートワークが可能なチームを経営側で選択して、そのグループリーダーに打診し、どこまで、リモートワーク化できるかを確認する。
その後に、他の部署との関係性をリモートに続けられるかをチェックする。
そういう形で、オフィスに来なくてもいいよから、必要がない場合には、オフィスに来ないようにへ方針を変えて、可能なグループからどんどん在宅指示を拡大している。
僕は、比較的、リモートワーク生活が長い。
最近になって非リモートワークの同僚たちと働くようになった。
判断や決定部分を除けば、作業の部分は、ほぼすべてがリモート的にデジタル化内で完結する。
その意味で、オフィスでのミーティングに物理的な参加を求められる場合や、オフィスで外部とのアポイントメントがある場合、アナログな形で、同僚たちとの関係性を維持することを除けば、オフィスにいる必要はない。
実際、業務の契約内容も、オフィスに朝から晩までいることを求められているわけではない。
とはいえ、非リモートワーク的働き方をしている人たちが多い部門だと、なかなか、オフィスでのミーティングが終わり、オフィスでの作業の生産性が落ちてきたならば、さっさと帰宅すればいいとはいかない。
リモートワークというのは、リモート派が多数でなければ成立しないゲームなのだ。
なんともいえぬ、負債感のようなものをリモート派が感じることになる。
これはソニックガーデンの倉貫さんの言う通りだ。
実際、リモート推奨になってからも、オフィスにいる人数はそれほど減らなかった。この組織への負債感のようなものは、一種の体内時計のように日本の組織人のなかには埋め込まれてしまっている。
今日は、とても良い天気だった。午前中にリモートミーティングを行い、そのあと、本日、済まさなければならない判断、作業を午前中に終えてから、フラッと街に出た。とても暖かいが、あまり人通りがない、近所を太陽をたっぷり浴びながら歩いた。
得も言われぬ解放感と幸福感を感じた。
午後遅くに、外部とのZoomミーティングがあるが、その中で出すべき、結論は自分の中では整理済みなので、とても気楽である。
心から、リモートワーク的贅沢さを味わうことができた。
多分、非リモートワーク的環境に親しんできた大半の同僚たちは、居住まいの悪さを感じているのだろうと思う。なかにはこの環境を自己管理しながら満喫している少数派もいる。
そもそも在宅勤務という言葉が悪い。オフィスの代わりに朝から晩まで家にいなければならないような拘束感にとらわれてしまうのだ。
基本的にリモートワークは成果によって評価されるべきである。それはいい点もあるが、案外大変だ。
自宅のパソコンの前に、律儀に座っていたからといって、評価はされなくなるからだ
そのあたりのロジックが変わったことを、チームが皆、実感しなければ、なかなか円滑な業務にはならないはずだ。
非リモート的仕事を数十年こなした後に、リモートワーク的環境にシフトした時の、わけのわからない、誰を気にしているのか定かでない、拘束感、負債感を思い出す。これは、結構、しぶといのだ。。
スケジュールをじっくりと観て、今日しなければならないことがはっきりしているのなら、それが終ったら、一瞬の解放感を味わうべきなのである。
その後は、近所をふらつくもよし、中長期的に自分の仕事にとって必要となるものに時間を使えばいいのだ。
リモートワークでは、自らが自らにたいして成果主義を求めなければならない。その意味で、自己管理ができないメンバーがいるチームは完全なリモートチームにはなりえないのだ。
しかし、今回のコロナという外部性によって、自己管理のできない人々も含めたリモートワークを試されている。
特に新入社員が在宅勤務から社会人生活を開始しているような場合は、大変だと思う。
マネジャーは、こういった人たちに対しては、あたかも非リモート環境で行われるような、コミュニケーションをリモートに行わなくてはならない。
メンバーがすべて自己管理できる場合に、完璧に機能するリモートワークというものを、その前提が整っていない環境で行うわけだから、リモートのロジックと非リモートのロジックが、無自覚的に混在する可能性がある。
これは受け取る側に、複雑で、わかりにくいメッセージになってしまう。
それは受け取る側の問題というよりは、発信する側、管理者側に起因することになる。そもそもリモートワークというものが身体に沁みついていない管理者が発するわかりにくく、それでいて形式的かつ細かいメッセージが発信されるとするならば、これはゾッとする光景だ。
これは今の日本の企業社会が潜在的に直面しているもっとも深刻な問題のような気がする。
しかし今は、誰もが、様々な分野、レベルで、それぞれの不安に直面している。
世の中を支配しがちな他責的な空気から逃れて、今日の陽光をたっぷりと浴びられた人はどれだけいるのだろうか。その緩やかさやいい加減さの中にしか僕たちの健やかな未来はない。
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