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南北相法(前篇/巻ノ一)

元祖 聖徳皇太子
中祖 水野南北居士著

天保書院蔵

南北相法凡例

一 古(いにしえ)より、数篇の相書があるとは言っても、未だ相法における体・用・妙の三つは区別し難い。ゆえに、この書においては、まず、骨格・血色に現れる事を論じる。これは、つまりは、相法の体である。次に、骨格・血色に現れるところの道理を明らかして用い、これを看相の用とする。最後に、骨格・血色の義理を離れて、さらに詳細を論じる。これを看相の妙と言う。つまりは無相の相である。

一 今回著述した相法は、私が未熟な状態で記したものである。よって、これを嘲り笑う衆人がいるかもしれない。しかし、私は生来、わがままな人間である。ゆえに、相法に関しては他人の心意や門人の意見を採用しない、という考えがあるため、文字の不当、その他の僻論などがあるかもしれない。願わくば、博覧の君子がこの書を閲覧され、相法議論を立興されん事を、乞い願うばかりである。                                                    

維時天明八戌申仲春

予、三十四歳にして看相を相止め、隠遁を楽しむ。

南北  謹識

南北相法(前編) 目録

前編巻ノ一 目録
一 観相の大要
一 陰陽の図
一 五臺(ごだい)の図
一 手相ならびに問答
一 十三部位面の図
一 面(おもて)三停ならびに三停論
一 十穴面の図
一 十穴穴所の取法
一 十穴の司所
一 十穴の黒子(ほくろ)・傷
一 十八穴面の図
一 十八穴穴所の取法
一 十八穴の司所
一 十八穴の黒子・傷

前編巻ノ二 目録
一 頭(かしら)
一 頂(いただき)
一 髪・髭(ひげ)
一 面(かお)
一 首筋(くびすじ)
一 鎮骨(ちんこつ) *頭の後ろの骨なり
一 肩
一 腕・肘
一 胸
一 乳
一 腹
一 臍
一 腰
一 男根
一 股(もも)
一 足

前編巻ノ三 目録
一 体の三停
一 骨・肉
一 皮
一 毛
一 青筋
一 言語 *ものを言うことなり
一 息
一 歩行の形(ぎょう) *歩く相
一 座形(ざぎょう) *座る相
一 臥形(がぎょう) *人の寝入る相
一 五行の相
一 五行の体用・相生・相克(=相剋)・問答
一 三つの難相
一 八相の論
一 国風の論
一 相法大意

前編巻ノ四 目録
一 額
一 眉
一 歯
一 家続(かぞく) *目と眉との間を言うなり
一 眼
一 耳
一 鼻
一 顴骨(けんこつ) *両方の頬骨を言うなり
一 法令 *鼻より口の両方へ下がる筋を言うなり
一 口
一 歯

前編巻ノ五 目録
一 人中(にんちゅう) *鼻の下、口までの溝を言う
一 妻妾(さいしょう) *目の尻を言う
一 魚尾(ぎょび) *目の尻を言う
一 男女(だんじょ) *目の下、骨なき所を言う
一 印堂(いんどう) *眉と眉の間を言う
一 命宮(めいきゅう) *目と目の間を言う
一 頤(おとがい、≒顎)
一 雑骨格の部
一 雑問答 *色々の事を取り混ぜて解きあらわす

目録終

○ この印は上
△ この印は中
□ この印は下

本文の左にある以上の印は、初学者向けの文章にのみ付した。まずは上・中・下の種類を考えて用いなさい。その後、印のない文章の伝を学びなさい。
*以上の印は前篇巻ノ四から記載されている。

南北相法前編巻ノ一

水野南北居士 著

門人 平山南嶽・水野八氣 校

《相人の用》

まず、人を相する時は安らかに腰を落ち着け、その体の天地人を正しく備えて、七息また、心を気海に居して、六根を遠ざけ、そうして後、心の六根を許して、以って相を論ずるのである。

南龍斎が問う 体の天地人を備えるというのはどういうことでしょうか?
南北先生答える 体の天地人を正しく備えるというのは、頭を正しくしてうつむけず、また眼を閉じ、腹を張って向こうへ出し、尻を畳に落ち着け、大石を据えたる如くにすることをいうのである。また、七息というのは息を七つ数えることをいう。また、心を気海に居して、というのは心を臍の下に納めることをいう。また、六根を遠ざけるというのは、相をみる間は鳥の鳴き声も聞かず、風の音も聞かず、何も思わぬことをいうのである。このようにして相をみる時は、自然と天より善悪の相を知らしめ給うものである。これを心より六根を許すという。よく考えなさい。

*気海とはツボの名称で臍の下一寸五分にある。
*六根とは仏教用語。目・耳・鼻・舌・身・意の六つを指す。

まず、人を相する時は第一に行住座臥の間において、その心を相して後、神気の強弱を相し、次に忠孝の志の有無を相し、次に陰徳の志を相し、次に心の動不動を相し、次に倹約の心の有無を相する。また、視聴言動の間に相して後、骨格、血色、流年によって、ことごとく善悪を相することを第一にして可能になるのである。

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↑陰陽の図

天は空のことであるから水を生じ、地は風火を生ずる。よって、地水火風空は五臺(ごだい)となるのである。よく考えて知るべきことである。天は空にして神を生ず、地は母にして形を生ず、故に我が身体は父母なのであり、よって、身体そのものに相があるわけではなく、我に相があるのである。また、人は生まれた時は悪はなく、悪しきは皆自分にある。故に我をもって父母の身体を苦しむ、然らば相は生じることはなく、我を剋して相なし。このことはもっと深く考えねばならない。

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躰をもって地とする。一身の潤をもって水とする。身の暖なるを以て火とする。息をもって風とする。意(こころ)をもって空とする。 
*五臺(ごだい)…仏教において、万物を生み出し、万物に遍在するとされる、五つの要素。原文では俗字の五䑓を使用している。

《五指の司る所》

①親指は大指と言い、親の事を観る。
②人差し指は人指と言い、他人の事を観る。
③中指は中指と言い、自分の事を観る。
④薬指は無名指と言い、身内の事を観る。
⑤小指は小指と言い、子孫の事を観る。

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↑図1「五指の司る部位」

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