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デジタルで撮った写真は、単なるデータか?

こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。

今日は、デジタルカメラで撮影した写真は、単なるデータに過ぎないのかということについて考えてみたいと思います。

およそ20年ほど前までは、カメラといったらフィルムが当たり前であり、デジタルカメラは家電メーカーなどが商品化した「家電製品」に過ぎませんでした。

その後のカメラのデジタル化の進歩はご存知の通りです。

デジタルカメラで撮影した写真は、JPEGなどのデジタルデータとして保存されます。データを分解していけば、単なる0と1で構成されたビット情報の集合に過ぎません。

これは写真に限らず、音楽も本も映画も漫画もお金など、多くのものがデジタルデータとして取り扱われています。

デジタルカメラは、レンズから光を取り込むとセンサーがそれを受け取り、デジタルデータに変換してメモリなどに保存されます。

その光や色の情報が、単なる情報の塊なのか、あるいは撮影者の意図や想いといった目に見えないものも含むのか否かが争点となりそうです。

個人的には、写真の持つ力は、アナログからデジタルに変わっても不変か、よりパワーアップしたと思っています。 

撮影:Tokyo Street PIX.  @青山

なぜなら、デジタルならではの扱いやすさを別にしても、デジタルになったことで、より撮りたいものが撮れるようになり、表現の幅が広がり、撮影者が写真に込めたメッセージがより届きやすくなったのではないでしょうか。

例えば、フィルムなら高感度フィルムにしても感度に限度がありましたが、デジタルセンサーになったことで高感度化され、カメラによってはISO10万以上でもノイズの少ない写真撮影が可能になってきています。

現像・レタッチの編集も容易になり、色調・露出、コントラストの調整など、写真表現の幅が広がりました。

以前なら、自分の表現したい写真を作るのは試行錯誤が必要でしたが、現在ではデジタルでやり直しが容易にできるため、より本来の表現に近づけることが可能です

フィルムで撮影した写真でも、もちろん撮影者の想いやメッセージを込めることは可能でしたが、デジタルが可能にしたことは、より自由に表現そのものを追求でき、他のメディアとの連携も含め芸術的、文化的な側面でもさらに伝達能力は強力になっているのではないでしょうか。

撮影:Tokyo Street PIX.  @赤坂

個人のプライベートな範囲でしか存在しなかった写真が、アナログからデジタルになったことで、グローバルな広がりが可能になり、1枚の写真が良くも悪くも社会に深い影響を与えるメディアに変質しつつあるのではないかと思います。

写真がアナログからデジタルになったことで、1枚の写真としての容器は単なるビット信号の塊であるデータでしかありませんが、カメラのセンサー、PCでの現像・レタッチなどがもたらした表現の幅と奥行きは更に広がり、撮影者と鑑賞者の想いの伝達がより濃いものになるでしょう

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。

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