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自分のためだけに存在しているカメラ

こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。

今日は、自分のカメラがどれだけ愛おしい存在であるか考えてみたいと思います。

今まであまり考えたこともなかったのですが、目の前にある自分のカメラは、(誰かに貸さない限り)自分しかシャッターを押すことはありません。

まさに私のためだけに、そこに存在するのです。

そう考えると、スペックがどうとか、多少のキズがどうとか関係なく、今自分のところに縁あって来ているというのも、何か不思議な感じがします。

私のカメラSONY RX100 (初代)

カメラは写真を撮ることしかできませんから、全てご主人様の指示通りに動くだけです。

もし、カメラに感情があるとして、「えっ?これ撮るの?」「もっと絞った方がいいけどなぁ」とか思われていたら、ちょっと気が滅入ってしまうかもしれませんが、一応指示通り動いてくれますので、感情を押し殺して仕事しているかもしれません。

その結果、たいした写真が撮れていなかったら、それは全部シャッターを切った人に全責任があるわけで、他に言い訳はできません。

写真が客観的でもあり主観的でもあると言うのは、カメラが客観的、撮影者が主観的な立場で撮影しますから、すごい共同作業なわけですね。

撮影:Tokyo Street PIX.  @原宿

写真が満足いくように撮れない時というのは、やはり撮影者のほうに何か課題があることが多いような気がします

カメラば指示通りに撮ることしかできませんからね笑。

それを、カメラのせいにしてしまうのは、カメラにとって失礼な話かもしれません。

もっとカメラとの距離を縮める必要がありそうです。

スマホは常に肌身離さず持ち歩くものですが、カメラはわざわざ持ち歩くものです。

自分から距離を縮めないことには話が始まりませんね。

ただ眺めているだけでカメラという存在を愛おしく感じ、実際に触れて存在を再確認し、あなたがこの機種を選んだ理由を味わうことが、カメラとの距離を縮める簡単な方法です。

どんなカメラにも欠点はあります。今日はそんなところは見ないようにしてあげてください。

たまには、普段押すことのないボタンも全部押して、回すことのないダイヤルを回してあげてください。接触不良が見つかるかもしれませんが笑。

そうしているうちに、いつものカメラが違って見えてくるかもしれません。

新しい発見があったり、撮る時の気持ちの上でも新しい風を感じることでしょう。

カメラはいつか壊れてしまう日が来るかもしれませんが、そのカメラで撮った写真は永遠に残り続けます。

カメラが命懸け(大袈裟か?)で残してくれた写真を大切にしたいと考える今日この頃です。

本日のオススメの1冊


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。

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