写真には正解がないから面白い
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
昨今、うまい写真、よい写真、いい写真、きれいな写真、ヘタな写真、よくない写真などなど、写真の形容詞を伴う話題をよく目にします。
タイトルにもある通り、写真には正解がないので、さまざまな感性の人が、あらゆる視点で写真を観た時、いくつもの答えが出てきます。
写真は基本的に客観的には観ることができないものだと思っています。
写真の言語化をしたとして、写っているものの説明をしたとしても、そこには必ず主観が入った説明になってしまうはずです。
目の前にあるコーヒーカップを撮った写真に対して、ただコーヒーカップがあるだけでは言語化としては情報が不足していますし、そこには必ず状況・様態を入れなければなりませんし、そうなると主観を入れざるを得ません。
撮影においても同じで、被写体選びやカメラの各種設定は、経験や知識によって最適なものを選ぶという行為にも主観が入ってきます。
数学や物理のような、科学的・理論的に裏付けられたものであれば、答えがひとつではないにせよ正解というものが存在します。
それを追い求めるのも、頭が良ければ楽しそうですが、私には無理っぽいです笑。
かといって、今ここで話題にしている写真には正解がないので、頭の良し悪しに関係なくできそうですが、それとは別の感性・センスといったものが必要とされるでしょう。
でも、その感性やセンスといったものも数値化・可視化できるものでないため、どの程度必要なのかといったことも客観的には判断できません。
そうなると、正解っぽい何かが示されていた時、その写真について、撮影した人、編集した人、論評した人、いいねを押してくれた人、通りすがりに見てくれた人、いったい誰が正しいことを言っているのでしょうか。
写真には正解がないということであれば、「正解っぽい何か」は自分で決めなければなりません。
他人の意見や感想は「正解っぽい」かもしれませんが、それはその発言者にとっての正解なのであって、あなた自身の正解ではありません。
どの正解を採用してもいいし、また採用しないのも自由です。
自分なりの正解を用意しておくことで、カメラや写真に対する取り組みをどういう方向で進めていけば良いのかの判断材料になるとは思います。
その結果どうことになるか分かりませんが、正解がないので今夜もぐっすり眠れる気がしてきました。
本日のオススメの1冊
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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