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カメラと写真の狭間で
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
今日は、カメラと写真は切っても切れない関係だけれど、全然別の次元でそれぞれが生きていると感じることについて書いてみたいと思います。
いきなり、何のこっちゃ?という話なのですが、カメラという写真を撮るための “機械” と、写真という1枚の “紙” の不思議な関係をいつも考えています。
客観的に見て、この両者の間に物理的な関係は何もありません。
片や精密機器であり電子機器なのですが、片やプリントされた単なる1枚の紙です。
しかし、カメラがなければ写真を撮れないのは当たり前の話で、カメラによって写真の “質” が変わってくることに不思議さを感じでしまうのです。
更には、そこには必ず「撮影者」として人間が介在することが大きなポイントです。
カメラには、レンズがあり、デジカメならイメージセンサーから画像データが生成されるという基本的な構成は同じです。
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しかし、同じ撮影者が同じ被写体を取ったとしても、カメラが変わると、そこから出てくる写真が変わることに不思議さを感じるわけです。
同時に、同じカメラを使っても、撮影者が変われば同じ被写体でも全く違う写真になるでしょう。
そんなのは当たり前だ!と思う方もいるとは思いますが、どんなカメラを使ってもいつも同じ写真しか撮れない人もいます(いい意味で)。
カメラの個性を撮影者の個性が上回っているパターンですね。有名な写真家に多いパターンかもしれません。例外と言っても良いですが…。
レンズの焦点距離が違うから撮れる写真も変わってくるということもありますが、そのカメラを触ったとき、持ったときのマインドにもすごく写真は影響を受けていると思うのです。
例えばGRのような気軽にスナップが撮れるカメラ、M型ライカのようにほとんどマニュアルでの操作が必要なカメラ、総合的に扱いやすいミラーレス機など、それぞれカメラとしての立ち位置があります。
しかし、それらはあくまでハードウェアとしての立ち位置であって、そこにカメラを操作する人間が介入すると、状況は一変します。
スナップを取り慣れている人がGRを持てば、カッコいいスナップが量産されるかもしれません。
しかし、いつも望遠レンズを付けたミラーレス機で鉄道を撮っている人がGRを持たされたらからといって、スナップをパシャパシャと撮れるわけではありませんよね。もちろん、逆も然りです。
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自分を中心として、そこからカメラとの関係性を考えたときに、さらに先には被写体があって、更にその先に写真というゴールがあります。
みんなバラバラに存在しているけれど、自分という軸がしっかりしていないと、カメラも写真もブレブレになってしまうのだなぁと感じます。
抽象的な話でしたが、何を使って何を残したいのかを突き詰めていくと、カメラと写真の相関関係こそがが「沼」のような気がする今日この頃です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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