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写真は大人の絵日記か
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
「絵日記」というと、小学生の夏休みに書いたアレを思い出しますが、何日かサボってしまうと何をしたか分からなくなって、周りの人に聞きまくったことを思い出します。
文章だけの日記でも良いのに、わざわざ絵を添えて「視覚的な表現の訓練」をしたのは、今から思うと絵の上手い下手よりも、実は「スナップの訓練」だったのかもしれません笑。
さて、大人になって絵日記を書くことはなくなりましたが、写真を日々撮っている行為そのものが「大人の絵日記」なのではないかと、最近ふと思ったわけであります。
写真を作品という視点ではなく、日常の一コマの記録として捉えてみれば、文章があるわけではありませんが、日記の映像バージョンと言えなくもなくない?笑
文章がなくとも、例えば夕焼けの写真だとしたら、1日の終わりの哀愁が宿り、帰りの電車を待つホームをモノクロで撮ったら、「お疲れさま、オレ」的なストーリーが浮かび上がります。
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もちろん、毎日自分のことばで日記をつけていらっしゃる方もたくさんいると思いますが、写真を撮る行為が無意識に日記を付けていることになっている気がします。
たとえカメラを持ち歩いていなかったとしても、スマホのカメラでも日常の一コマを残すには十分です。
また、それをSNSにアップし共有することが、現代的な新しい日記の形であるかもしれません。
写真を見返すことで自分の過去を振り返ることもできますが、数年後、その写真を見返したときに、何を感じるのかが「日常の破片」以上の価値をもたらすような気がします。
写真は時間を経ることで、 “何か” が熟成され新たな価値を生み出します。
例えば、単なるスナップ写真が、記録を超えてアート作品になったり社会的メッセージを含んだものとして「機能する」可能性があるかもしれません。
何気ない1枚の写真が、「絵日記」というプライベートなメディアから不特定多数の人が見るパブリックなメディアにも変貌する可能性すら秘めています。
写真を残した結果、誰も見ないかもしれないし、そのままデジタルデータとして消え去ってしまうかもしれませんが、それはそれ笑。
写真を日々撮っていれば、限りないくらいの枚数の写真が残されます。
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暇つぶしに意味もなくスマホを眺める時間があるならば、自分の写真を見返して、少し前の自分を振りかってみるのはおすすめです。
撮ったときには気にも留めなかった写真だったのに、その中の写真のうちのいくつかが浮かび上がって見えてくるものがあるかもしれません。
その写真とちゃんと向き合って、現像・レタッチし直してみるのも良いと思います。
自分で撮った写真は、その1枚を撮ったことは忘れていたとしても、撮影順に見ていけば、きっとその時の状況やマインドを思い出すはずです。
それは、あなたにとっての立派な「絵日記」ですよね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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