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『「写真とは何か」を考えること』を考える

こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。

私がnoteを始めてから、カメラや写真関連のクリエイターの方のある記事が良く目につくようになりました。

それは、「写真とは何か」的なことに関する記事です。

カメラや写真に取り組んでいる人が、写真の正体を知りたいと思うのは当然ですし、写真への想いであったり、写真を通じて見たいこと・伝えたいことなど、“自分にとっての写真論" の数々を読んでいると、色々な意見や考えがあって、とてもおもしろいです。

で、今日のお話のテーマですが、タイトルにある「写真とは何か」というのはあくまで一例なのですが、もう一歩踏み込んで、なぜ、写真を探求するのか、探求したいのかを考えてみようという企画です。

カメラという機械を使って、レンズに光を通して、フィルムやセンサーにその光を当てるとそれが保存され、現像液やアプリを通して光の映像が浮かび上がると「写真」という1枚の画が出来上がります。

⑴ 取り込まれた光の正体が、なんなのか?

⑵ その浮かび上がった光の映像の正体が、なんなのか?

同じように聞こえるけれど、ホントは違うんですよね。

この違いに気が付いているかどうかはわからないけれど、写真のことを語るときに、このどちらか、もしくは両方でも良いのですが、この違いを頭の片隅に置いておくと、答えというか求めているものに、より近づけるような気がします

音楽を例に出せば、ライブそのものを語るのは、CD・Blu-rayなど音楽メディアのレビューはをイメージをすれば違いがわかりやすいとおもいます。

写真を話に戻すと、

⑴の例:亡くなった祖母の写真を見たとき、おばあちゃんを思い出します。あんなこと、こんなことがあったなぁと、脳が勝手に記憶の糸を辿ってくれますね。

⑵の例:北朝鮮の街中の写真を見たとき、イメージされるのは将軍様か、整列した軍隊か、その他の何かダークなものか。ほとんどの人が行ったことないと思いますので、メディア、本や人の話から取り込んだものしかないはずです。

情報を伝える「メディア」として写真を見たとき、被写体そのものなのか、時間と空間を封じ込めた器(写真)についてなのかの意識が、自分でも足りていないと思います。

写真について何かを伝える時に、情報を伝えるための手段の話なのか、表現技術・表現手法などの目的とした話なのかについてもはっきりさせると、話の明瞭度が上がるのではないかと考えます。

この記事を読んでいる方は、カメラや写真のことが好きで、写真を撮るだけでなく、写真について何かを常に考えている方だと思います。

一般の人よりも自己表現の欲求レベルが高いと思いますので、どう伝えるか、何を伝えるかといったことを5W1Hも使って整理しつつ、写真の目的と手段についても意識するようにすれば、またひとつ自分の写真の解像度が上がるような気がする今日この頃です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。

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