オリジナリティとかどうでもいい
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
今日は、写真の「オリジナリティ」について考えたいと思います。
写真に限らず、絵画や音楽、文学、映像など、クリエイティブな創作物には必ずといっていいほど、重要なこととして「オリジナリティ」という言葉が出てきます。
日本語では、独創性、創造性などと訳されますが、何か新たに創り出されたモノやコトを指します。
写真でいえば、今まで見たことのない視点から、見たことのない風景や景色、誰も想像できないような角度で被写体を捉え、目で見える色とは違う色彩で表現された写真が、これに該当するでしょうか。
それを自分の写真表現として見た時、このような、誰もまだやっていない新しい表現などには該当しないのではないかと思っています。
オリジナルな表現というとカッコ良いですが、悪くいえば「好き勝手撮ってるだけに過ぎない」とも言えなくはありません。
写真なんて自己表現のひとつに過ぎないのですから、好き勝手に撮って自分で満足できればそれはそれでいいと思います。
裏を返せば、好き勝手に撮っていれば「オリジナリティのある写真」を撮っていると言えるのでしょうか?
私の写真のテイストは、ハイコントラストのモノクロですから、見たことあるような写真が多く、その視点からは、はっきりいって「オリジナリティ」なんてないと思います。
新たな視点だったり表現である「オリジナリティ」という意味では、好き勝手に撮っているだけてばダメですし、基本的なセオリーを守るということが前提であり基礎として必要です。
基本的なセオリーというのは、人間が本来持っている美的感覚だったり、無意識に感じることのできる感受性に訴えかけた時に、それらを容認させるものであるはずです。
素直に綺麗とかカッコいいと言える感覚に、どこまで訴追できるかが、本当の「オリジナリティ」の追求であるとも言えると思います。
そう考えると、私のような凡人にはなかなかその境地まで辿り着くのは厳しいです。
凡人に唯一できることは、「オリジナリティの追求」などではなく、自分の大好きな表現をした写真をたくさん作ることです。
好きな写真家やアーティストの写真を参考にするのが一番の近道です。その写真家の写真を徹底的に「真似てみる」のです。
でも、おそらく、きっと、真似することさえ大変だと思います。
例えばバンドを組んで、好きなバンドやミュージシャンの曲を演奏することを、コピーとかカバーとかって言いますが、本人達たち同じように演奏することは、すごく難しいことです。
たくさん練習して、やっと雰囲気が出るようになって、さらに練習して、本物と同じように聴こえる頃には、上手・下手でもなく、似ている・似てないでもなく、自分たちのバンドの音になってることが「オリジナリティ」なんですよね。
だから、写真も、たくさん撮って、発表することを繰り返していけば、「オリジナリティ」に拘らなくても自分らしいオリジナルになっているような気がする今日この頃です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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