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ライカのオールドレンズは、ライカのカメラじゃないとダメなの?
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
今日は、 “ライカ” のオールドレンズには『ライカ』のデジカメでなければならないのかについて考えてみたいと思います。
きっかけは、以前YouTubeでライカのオールドレンズを紹介した動画を見ていました。
その動画の発信者の方は「ズマター」か「ズミタール」か忘れましたが、おそらく戦前の時代と思われるライカのオールドレンズを紹介されておりました。
動画を見たあと、何気にコメント欄に目を映すと、『ライカのオールドレンスにはライカのボディを使おう。ライカの本質が見えると思うよ』(意訳)的なコメントが書き込まれておりました。
確かに、動画の発信者の方は国内メーカーのミラーレス一眼に、マウントアダプターを介してライカのオールドレンズを装着されておりました。
一見するとライカのレンズなんだからライカのボディと組み合わせれば「ライカの本質」に迫れるような正論に聞こえます。
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しかし、よーく考えてみると、ライカのオールドレンズは、当時のライカボディに装着することを前提に開発されているはずです。
当時はもちろんフィルムの時代であり、ライカが開発したレンズを光学的に通った光は「ライカの描写」が反映されたものであることは確かです。
しかし、その光は(当時は)フィルムに投影されます。そのフィルムはライカでしょうか?
フジか、コダックか、サクラか、コニカか何かですよね?
確かに24mm×36mmの寸法のフィルムを普及させたのはライカですし35mm版のことを以前は「ライカ判」と呼んでいました。
でも、ライカのレンズを通った光は、装填された「フィルムの色」に染まるはずです。
そして時代が進みカメラがデジタルに変わり、レンズを通じた光の像はフィルムではなくイメージセンサーが受け持つこととなりました。
ライカに限った話ではありませんが、デジタルになったことでボディが画質そのものに大きく関与するようになりました。
もちろんデジタルカメラは、その時点の最新の自社レンズとの組み合わせた時に最高のパフォーマンスを発揮するよう開発されています。
一説によると、M型のデジタルでも、ライカのオールドレンズと組み合わせた時にそのレンズの特性が発揮できると言われています。
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デジタル世代のライカボディと、ライカのオールドレンズとの組み合わせは、「ライカを味わう」という意味では贅沢のひとつかもしれません。
少なくとも、フィルム時代のオールドレンズをミラーレス一眼で楽しむという流れの中で、ライカのオールドレンズに「ライカのデジカメ」の組み合わせを否定するつもりはありませんが、違和感を感じてしまったのが正直なところです。
「ライカの哲学」を求める人にとっては、最高の組み合わせをお勧めしたつもりかもしれませんが、ある種の「老害」と感じた私は心が狭いのかもしれません笑。
ただ、こだわりが行き過ぎると、逆に可能性を狭めてしまうような気がする今日この頃です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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