写真はウソつき
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
今日は、写真の真実性について考えてみたいと思います。
例えば裁判で「証拠写真」が認められるほど、写真に写っていることは真実または事実だと思われています。
私はスピード違反で捕まったことはありませんが、この記事を読んでいる方の中で、高速道路などで写真を撮られ、 “動画でもない停止した1枚の写真” が証拠となり、警察へ出頭した人がいるかもしれません。
写真がなぜ、これほどまでに「現実にあったこと」の証明として認知されているのでしょうか。
写真が登場する前、事実を伝える手段は文字か絵画、口頭などに限られていました。
そこには、意識しているか無意識かは別としても、それを伝える人の主観が入っていることが前提でした。
聞く方、見る方も、主観が入っている前提だとしても、その事実を伝える人の信用度を加味して、話の内容を信じるかどうかを判断していたと思います。
現実にその場所へ行ったり、その物自体を見たわけではないので、なんとなくイメージとして受け取るしかありませんでした。
ところが、写真が登場すると、(当時はモノクロであったとしても)目の前の出来事が写っているわけですから、これは “主観的ではなく客観的に” 写っているに違いないと勘違いし、写真というものを信じない方がおかしなことに繋がってしまいました。
レンズやフィルムが改良され、時代を追うごとにクリアに写る写真は、益々「真実を写す」ものとして認知されていきました。
しかし、実際には、写真を撮った人、現像した人、その写真を使って物事を伝えようと編集した人など、多くの人の手によって「事実」が伝えられています。
では、何を持って事実とするのかという問題に突き当たります。
カメラマンが目の前で起こったことを、写真に撮られたことは事実かもしれないけれど、フレームに入れなかった外側で起こったことを知ったら、その写真の意味が大きく変わってしまうことは大いに考えられます。
また、写真がフィルムであろうがデジタルであろうが、撮った写真はどのようにも編集できますから(最近では消しゴムで笑)、客観的に真実だと言えることが可能なのかどうか、難しい問題に発展します。
仮に裁判で(捏造された)写真が「証拠写真」として提出されたとして、その写真が証拠として採用されれば冤罪につながる可能性もあるわけです。
少し前になりますが、ソニーがC2PA規格対応と独自のデジタル署名技術によって、画像の真正性を検証する仕組みが発表されました。
この技術が今後どのように使われていくのかは未知数ですが、少なくともデジタルで簡単に加工が可能になり、AIの急速な発達で「写真の真実性」が岐路に立たされていることは事実だと思います。
写真は「真実を写す」わけではなく、ただ、そこにあった光を寄せ集めただけの幻なのかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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