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目の前にある、ありふれたものを撮ろう
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
今日は、特に深い意味とかはないけれど、なんとなく気持ちが揺らいだら写真を撮りましょうというお話しです。
最初から「深い意味」などなくてもOKという前提でお話を進めていきますが、この記事にも深い意味はないかもしれません。
でも、その意味付けというものが厄介で、私には深い意味があるのだけれど、他人には全く意味のないものというものがほとんどです。
テレビや新聞、雑誌などのマスメディアを通じた情報しかなかった昭和の時代と違って、今はありとあらゆるものが細分化され、家族ですらバラバラのものを見て、何に意味があるのかないのか、本人がそれに価値があると思えばいいだけの話で、極端かもしれませんが他人の価値なんてどうでもいいと言えます。
それはカメラや写真にも言えることで、自分なりの意味や想いが本人にとってはとても大切なことである一方で、他人が見たら何の価値も感じられないということと同じです。
ですから、他人に自分の価値を押し付けるのは、もうやめましょう笑。
逆に言えば、他人の評価、 “いいね” 的な数なんてのも、気にする必要はないのです。
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ということは、他人がどうこう言おうが、「自分の考える最高の価値あるものを撮って楽しめば最高!」ということになります。
確かに写真には「他人に見てもらうこと」という大きな “機能” がありますが、自分の写真を他人が見てどう感じようが、そのこと自体に意味はなく、とりあえず見てもらえれば幸せなのではないでしょうか。
スマホで気軽に写真が撮れるようになった一方で、“いい写真”、”うまい写真”、”エモい写真” など、価値観が固定化している現実もあります。
多くの人が高い評価をする写真が撮れることは、とても素晴らしいことに違いありませんが、自分にしか撮れない写真を自分で評価することを、カメラや写真を趣味にしている人はもっと積極的にやったほうが良いと思います。
表向き謙遜している “フリ” をしながら、「最高の自己満足」ができるのも、写真の楽しさのひとつです。
目の前にある「私の日常」は、誰のものでもありません。
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一番大切にしなければならないのは「私の日常」を写真に残すことであり、そこに他人が入る余地は全くありません。
だって、そこはわたしの責任においての、わたしの自由と空間と時間が「私の日常」ですから、目の前にあるものを「自分だけの写真」として残すことの喜びと幸せを味わいましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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