プロ野球 東京元老院
東京下町生まれのプロ野球ファン。 プロ野球の専門誌ではあまり語られない選手や記録を独自に検証。成績を見るだけでは難しい投手の真の評価を中心に行っていきます。 月4回、毎週月曜日に更新予定。
今年2023年4月に投手の真の評価を検証するをコンセプトにこのnoteを始めた。それから半年、投手の評価をするのに最も参考材料になる記録として『投球回数』に着目し『投球回数』を軸として今まで色々な角度からプロ野球の歴史、主に投手の起用法の移り変わりを検証してきた。そして準備段階が終わり、これからようやくこのnoteも本番に入る。 それはプロ野球の歴代投手の中でのNo.1のエースを決める事である。 プロ野球の歴史を語る際に時代の違う選手の比較は非常に難しい。打者の場合はどの
今回は福岡ソフトバンクホークスの歴代先発登板数トップ7を元に検証していく。 それでは今回のリストの見方と説明はこちら。 <各年先発登板数トップ7> ■年:該当年度(1938年は秋季のみの記録) ■監督:監督名 ■順位:所属球団の順位(順位ごとに色分け、金色は日本シリーズ制覇) ■1位~7位:チーム先発登板数の順位(赤字・左投げ投手 緑・リスト初登場 青・移籍選手
今回は金鯱の中山正嘉について検証してみる。 まずは中山の簡単な経歴と年度別成績から紹介する。 生年月日:1917(大正6)年7月3日 投打:右上投げ 右打ち 身長:170cm 体重:60kg 出身地:愛媛県 経歴:愛媛県立松山商業高校 【年度別投手成績】 これ等を元に簡単な検証から行っていく。
今回は1942年のプロ野球の投手成績を元にこの時代のプロ野球の検証を行う。 それではリストの見方と説明はこちら ※上段は規定達成者のランキング(防御率)順(30登板以上) ※下段は規定未達成者の投球回数順 ※成績の色・金色・1位、赤・2,3位、青・4,5位、黄・6,7位、緑・8~10位 灰・規定未達成者(30回以上)のベスト10入り ■L:投手ランキング順・上段は防御率順、下段は投球回数順 ※黄色は現在の規定による規定投球回数達成者 ※黒
今年2024年は巨人の連覇がV9で途絶えてから丁度50年が経つ。 読売巨人軍が前人未到の日本シリーズ九連覇を達成したのが1965~74年の9年間に当たる訳だが、V9の原動力となったのは言うまでも無く長嶋茂雄、王貞治というプロ野球歴代で最強クラスの強打者2人がいたからで、口の悪いアンチ巨人からは「王と長嶋がいれば、俺が監督をやっても優勝できる」と言われるくらいに圧倒的な存在だった。 もちろん王と長嶋がいるだけで九連覇も出来るほど勝負の世界は甘くは無く、柴田勲、土井正三、高田
今回はオリックスバファローズの歴代先発登板数トップ7を元に検証していく。 それでは今回のリストの見方と説明はこちら。 <各年先発登板数トップ7> ■年:該当年度(1936~1938年は通年の記録) ■監督:監督名 ■順位:所属球団の順位(順位ごとに色分け、金色は日本シリーズ制覇) ■1位~7位:チーム先発登板数の順位(赤字・左投げ投手 緑・リスト初登場 青・移籍選手
今回は大洋ホエールズの前泊哲明について検証してみる。 まずは前泊の簡単な経歴と年度別成績から紹介する。 生年月日:1957(昭和32)年10月17日 投打:右上投げ 右打ち 身長:182cm 体重:70kg 出身地:沖縄県八重山郡竹富町(西表島) 経歴:私立興南高校→日産自動車 【年度別投手成績】 これ等を元に簡単な検証から行っていく。
今回は1941年のプロ野球の投手成績を元にこの時代のプロ野球の検証を行う。 それではリストの見方と説明はこちら ※上段は規定達成者のランキング(防御率)順(150回以上) ※下段は規定未達成者の投球回数順 ※成績の色・金色・1位、赤・2,3位、青・4,5位、黄・6,7位、緑・8~10位 灰・規定未達成者(30回以上)のベスト10入り ■L:投手ランキング順・上段は防御率順、下段は投球回数順 ※黄色は現在の規定による規定投球回数達成者 ※黒
『歴代プロ野球最強エース決定戦』の第3回目として今回は2013年の田中将大を取り上げる。 どれだけ圧倒的な強さを見せたエースであっても1年間で何試合かは負けてしまうものだが、だからこそ2013年に負け無しで24勝0敗という成績を残した田中こそが最強エースの大本命といっていいかも知れない。 もちろん時代が時代だから過去のエースとの単純比較が難しくはあるのだが、可能な限り昔のエースと同じ土俵に立たせて比較検証を行ってみる。 まずは簡単な経歴と年度別成績から紹介する。 生年
今回は東京ヤクルトスワローズの歴代先発登板数トップ7を元に検証していく。 それでは今回のリストの見方と説明はこちら。 <各年先発登板数トップ7> ■年:該当年度(1936~1938年は通年の記録) ■監督:監督名 ■順位:所属球団の順位(順位ごとに色分け、金色は日本シリーズ制覇) ■1位~7位:チーム先発登板数の順位(赤字・左投げ投手 緑・リスト初登場 青・移籍選手
外国人投手はバッキー、郭泰源、郭源治、メッセンジャーの様に長年に渡ってエースクラスの活躍をする投手もいるが、大抵は2~3年の在籍に終わった上に1年間しかまともに結果を残せていない投手が沢山いるので隠れた名投手の宝庫である。そこでこれから8月は夏休み特集と題して外国人投手の「隠れた名投手列伝」を行っていく事にする。 それでは第1回目となる今回は中日のポール・ホイタックについて検証してみる。 まずはホイタックの簡単な経歴と年度別成績から紹介する。 生年月日:1930年11月
今回は1940年のプロ野球の投手成績を元にこの時代のプロ野球の検証を行う。 それではリストの見方と説明はこちら ※上段は規定達成者のランキング(防御率)順(30登板以上) ※下段は規定未達成者の投球回数順 ※成績の色・金色・1位、赤・2,3位、青・4,5位、黄・6,7位、緑・8~10位 灰・規定未達成者(30回以上)のベスト10入り ■L:投手ランキング順・上段は防御率順、下段は投球回数順 ※黄色は現在の規定による規定投球回数達成者 ※黒
今回の『エース対決』は杉内俊哉と和田毅の2人の検証を行う。 ウチのnoteではどうしても昔の選手の検証が中心になってしまって馴染みのある最近の投手の検証の機会が中々訪れないのだが、『エ-ス対決』の方では近年の投手も取り上げていくのでさてどうなるだろうか。 まずは2人の簡単な経歴とキャリアが被っていた時代の成績から紹介する。 これ等を元に簡単な検証から行っていく。
今回は広島東洋カープの歴代先発登板数トップ7を元に検証していく。 それでは今回のリストの見方と説明はこちら。 <各年先発登板数トップ7> ■年:該当年度(1936~1938年は通年の記録) ■監督:監督名 ■順位:所属球団の順位(順位ごとに色分け、金色は日本シリーズ制覇) ■1位~7位:チーム先発登板数の順位(赤字・左投げ投手 緑・リスト初登場 青・移籍選手
今回はセネタースの一言多汁について検証してみる。 まずは一言の簡単な経歴と年度別成績から紹介する。 生年月日:1921(大正10)年5月1日 投打:右上投げ 右打ち 身長:173cm 体重:60kg 出身地:静岡県島田市 経歴:静岡県立島田商業学校→専修大学→兵役 【年度別投手成績】 一言多汁と言えばプロ野球の歴史上において1、2を争う珍名選手として珍名好きの間ではよく知られている選手である。ちなみに読み方は「ひとこと たじゅう」。しかし一言がどういう選手だったのかを
今回は1939年のプロ野球の投手成績を元にこの時代のプロ野球の検証を行う。 それではリストの見方と説明はこちら ※上段は規定達成者のランキング(防御率)順(10完投以上) ※下段は規定未達成者の投球回数順 ※成績の色・金色・1位、赤・2,3位、青・4,5位、黄・6,7位、緑・8~10位 灰・規定未達成者(30回以上)のベスト10入り ■L:投手ランキング順・上段は防御率順、下段は投球回数順 ※黄色は現在の規定による規定投球回数達成者 ※黒