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陰陽師安倍晴明公の運命鑑定 〜命式編〜

東京陰陽寮の事務方、いづみです。

今日は東京陰陽寮発足記念(?)として陰陽道で有名な安倍晴明公を鑑定してみたいと思います。

熊野神社さんで行われる「開祖安倍晴明公命日祭」ともかけてます。

ただ、世に出回っている情報が果たして本当なのかという疑問があるのですが、ウィキペディアさんの情報を参考に鑑定していきたいと思います👍(画像もウィキペディアさんから拝借いたしました)

今回は〜命式編〜ということで晴明さんの命式をよみといていきたいと思います。それでは陰陽師、安倍晴明公の運命鑑定ヒアウィゴー💫

↑晴明さんの命式です。

①生まれた日がなんなのか

命式をよむ時にまずみるのは「日干支」とよばれる生まれた日の干支です。この日干支はその人が選んで生まれた日を表し、その人のおおよそのタイプがわかります。
万年暦で生まれた日の干支を確認すればわかります。

※ちなみにわたしたちが普段使っている「干支」、実は60種類あります。子、丑、寅・・・の上に甲、乙、丙・・・という十干とよばれるものがセットでついてきます。この十干と十二支のセットを略して干支とよんでいます。

安倍晴明さんの日干支は「癸巳」きすいのみです。

②癸巳を陰陽五行に当てはめる

次に癸巳を陰陽五行とよばれる陰陽道の基本に当てはめて癸巳の本質に迫っていきます。

癸は陰の水です。
巳は陰の火です。

火の上にのる水です。
この時点でただものじゃないことがわかります。

もう少し詳しくみていきます。

命式画像をみてみてください。
巳の中には蔵干とよばれるものがあります。※ちなみに十二支には時の経過をよみとるためのアイテムが含まれていて、それを蔵干とよんでいます。同じ巳でも1日生まれと30日生まれでは巳の強さが異なります。
晴明さんは21日生まれなので本元である巳の強さがMAXの日に生まれました。巳オブ巳です。

ですから癸巳の意味が強く出るタイプといえます。

話を戻すと、火の上の水ですから火を消すための水とも考えられますが、巳の火は厳密にいうと丙(へいか)ですから「太陽」と判断します。(丙は自然界に当てはめると太陽であるというルールがあります。火は丁が担います。)

巳の蔵干をよみとくと、初元から戊、中元庚、本元丙となっているのがわかります。五行の循環を考えて考察すると、太陽(丙)で温められた山(戊)に水源(庚)がある、のが巳の正体とよむことができます。

そして巳の中の水源から日干の癸(水)が湧き出ている状態がイメージできると思います。
火→土→金→水
丙→戊→庚→癸

どういうことかというと、考えやアイディアが滾々と湧き出る小川のような人だな、と推測します。

五行図をみていただくとおわかり頂けると思いますが、五行とは「循環」するものです。癸が流れないといけないわけです。癸が流れるには木の甲や乙、寅や卯がないと癸のアイディアは流れないのです。ですからそれらが命式内にあるかどうか探します。

ありましたね!
月支に寅があります。晴明さんの考えやアイディアはちゃんと流れる仕組みになっていました。

では晴明さんの考えやアイディアはどういったものだったのでしょうか?

それは正常な癸なのか変わった癸なのかどうかをよみといていきます。

癸は戊がいると変わった癸に変身します。これを専門用語で「干合」かんごう、と言いますが時間軸がブレる働きがあります。時間が過ぎる感覚が人それぞれ違うのは体内時計が関連しているのですが、戊がいるとその体内時計が狂います。その結果、癸の時間感覚と戊の時間感覚の2つをもつことになるので、現象としてはミステリアスな人にみえるとか、二重人格にみえるとか、人と違う感性があるようにみえるとか、ちょっと変わった人!という扱いをされる可能性があるといえます。

なんと!晴明さんの命式に戊が3つもありました。

これは多重人格になってもおかしくないないレベルです。ミステリアスで人と違う感性があり多重人格。今私達が想像する安倍晴明像にピッタリですね。

「変わったやつだなー」なんてちょっとした有名人だったのかもしれませんね!

③日干「癸」から吉凶を判断

癸巳からきっとこんな人だろう、という推測ができました。実はこれはあくまでもファーストインプレッションで、実際の鑑定では30秒くらいで判断する準備作業になります。慣れれば15秒くらいでできるようになります。それを踏まえて、次は魂を示す日干「癸」を深読みしていきます。

癸は晴明さんにとって脳です。魂という人もいます。この癸からなにもかもが発信されますのでとても大事なものになります。五行図を参考にして、この癸がどういうことになっているのか?をよむことで性格がわかったり運勢の吉凶がわかります。

もう一度命式を見てみましょう。

まずは「メインの性格」を探っていきましょう。見方は「日干✕月支」をみていきます。月支は何を表しているかというと「生まれた月」を表しています。2月は寅月と記すルールがあるので月支は寅となっています。2月の癸(水)ということがわかります。

2月の癸(水)がどんな状況か想像してみてください。寒い寒い2月です。
 
凍ってる可能性大です。

ただ、晴明さんは滾々と湧き出る小川、だったので凍りはしないけど冷たい小川ですから、性格的にもどこか冷たさを感じる人だったのかもしれません。また寅の本元は甲ですから癸からみたら生じる五行の木がいます。生じるということは「生み出す」ですから伝達の性質があります。なのでおしゃべりだったはずです。また陰の癸と陽の甲、陰と陽の組み合わせなので「ひねり」が入りますので「ひねくれた批判的」な話し方をしたと思われます。

やや冷たい性格で口を開けば批判的、合う度に違う一面がありミステリアスで読めない性格の変わり者。わかりやすくいうと晴明さんの性格はそんな感じだったんじゃないかと思われます。

※ちなみに月支が生まれた月を表すということは、同時に季節とも関係します。すなわち日干(自分)が一番影響をうけるものなので「メインの性格」がわかるというわけです。

他にも「日干✕月干」で本音がわかります。月干は庚です。庚は水源で考えやアイディアです。何をするにもその原動力は「知識欲」が支えています。

「日干✕年干」で答えを出す方法がわかります。年干は辛ですから、これも癸を生じてくれる星です。同じ知識欲ではあるのですが、月干の知識欲が純粋な学問で机の上で追求するような知識でしたら、こちらの知識欲は学んだことを「実践する」という体験型知識欲です。学んだことは実践でやってみる、そんなアクティブさがあったようです。

「日干✕年支」は丙です。「日干✕年支」で社会での対応力がわかります。癸が丙を剋すの関係です。剋すということは「奪う」という意味があります。また「尽くす」という意味がでる場合もあります。どちらにしても社会での晴明さんは尽くすという奉仕的な側面と嫌いな人には何かを奪って我が物にするという側面があったと推測できます。

また「日干✕日支」も丙でここはパートナーや家庭での対応の仕方がわかります。ここも「尽くす」と「奪う」なので、基本はパートナーに尽くすマイホームパパですが、何かを奪うという現象もあったのかもしれません。

いずれにしても仕事では人の注目を、家庭では家族の愛情を「奪っていた」と信じたいものですね。

ではそんな2月の癸の晴明さんに「あると嬉しいもの」を考えてみましょう。

「温めてくれる太陽」は嬉しいはずです。
それから、「水が凍らないための水源」がありがたい。ちなみに太陽は「丙」で水源は「庚」です。この考え方を「守護神」といい、晴明さんの守護神は「丙と庚」ということになります。このように守護神という自分にとって味方になってくれる星が命式にあると生まれ持って運気が良いタイプといえますし、運勢で回ってくる時も運気が良い時といえます。

命式の中に庚も丙もありますね!
いや、ちょっと多すぎるかもなくらいありますね。これは守護神過多といってありがたいはずの守護神がちょっと悪さをする可能性がでてきます。どう悪さするかですが、晴明さんの場合は水源の庚が多すぎることで「知識欲」が旺盛だったのと、暖かさの丙が多すぎるので「たくさん奪って」それを「貯め込んでいた」のではないかと考えられます。

知識欲が旺盛なのは悪いことではないですがややもすると放浪する自由人です。定職につかず好きなことに明け暮れる可能性もあります。また「奪う」で真っ先に浮かぶのはお金です。人から奪うことをしなかったとしたら、めちゃくちゃ「ケチ」な人だったかもしれないですね。

ここまで来ると晴明さんが一体どんな人だったのか、結構鮮明に想像することができますね。

そんな晴明さんが陰陽師として活躍するヒストリーはどんなものだったのでしょうか?

続きは安倍晴明公の運命鑑定〜運勢編〜でお届けしたいと思います👍

ということで東京陰陽寮のいづみでした!
ご清読、ありがとうございました。

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