11.おれたちは続いていく
小さな個室で、おれは一糸まとわぬだらしない自分の下半身を見つめて唾を飲みこんだ。
これから始めるのは生殖活動。
しかし興奮もなければ高揚もない。
なぜならこれから待っているのはこの世でいちばんの快楽ではなく、この世でいちばんの不快であることを知っているからだ。
ふと時計を見上げれば、個室の残り時間が迫っていた。
「ふんごおおおおお!!」
獣のように慟哭して、おれは下半身に手をかけた。
そんな情けない一部始終を、壁で剥がれかけたポスターの水着の女が笑顔で見ていた。
「お疲れ様です、ムシャノコウジ……センキューさん。ぷっ」
受付のガラス板の向こう側で、おれの出した書類を確認した女性職員が小さく噴き出した。
「はーい、今月も無事に自家受精、確認しましたー」
「あ……」
汚いものを扱うようにゴム手袋で書類をつまんで茶封筒にしまうと、職員はさっさと奥のデスクへと戻って行った。
ほかの職員たちと「センキューだって」「やば」と人の名前を見て笑っている声が聞こえるが、文句ひとつすら言えない小心者のおれだ。背を丸めてとぼとぼ施設を離れることしかできなかった。
人口減少が地球問題の時代が到来した。
この国の人口が5000万人まで減ったころ、子孫繁栄が国民のミッションとなった。
子どもができない身体の人は免除されるが、生殖機能がある人間は、30歳になったら強制的に子どもを作るフェーズに移行しなければならない。夫婦には最低2人の子供の生産と養育が課されている。
その方法が「国からパートナーをあてがわれる」というのであれば、おれだってまだ積極的に協力しただろう。
いや正確にいえば、昔はそうだったらしい。
しかし無理にマッチングさせることで、うまくいかないパートナーが続出し、「人権を尊重せよ」などと爆発的なデモも起こり、余計に国の人口は減少してしまったため、その政策は潰えたという。
それから長い年月が経ち、ゆるやかだが確実に国の人口が現在の1000万人台に足を突っ込んだころ。本能的に生命の危機感を覚えた人類は、自らの体を変えるようにと進化を遂げた。
それが人間の雌雄同体化である。
雌雄同体の生物といえばカタツムリが有名だ。彼らの身体には雄と雌、両方の機能が備わっている。
それと同じように、人間も男か女の性を選択できるようになり、世の中から性差別も薄れていった。
性のボーダーがなくなったことで一見、世の中が平和になったようにも思えるが、それでもツガイになれないはみ出しものは大勢いる。
30歳の一斉検査で洗い出される「性行為の経験がない」おれのようなモテない人間は、科学者が作り上げた薬で「自家受精」ができる身体に変えられた。
これがクソほどに最悪だった。
「自家受精」とは、いわゆる「自家発電」の先のコトである。
毎月“排卵日”には国の指定する施設に行き「自家受精」をしなければならない。
やり方はコンプライアンスに引っかかるので割愛するが、簡単にいうと自分の精子を自分の卵子に突っ込むことである。これが精神的にも身体的にもエグい。
どこぞの男女は共同作業で楽しく生殖活動をしているのに、という悔しい思いに泣きべそをかきながらアレをかく。さらに気持ち良ければまだしも、痛いし気持ち悪いし、いいことがまるでない。施設の職員も「モテない男が来たぞ」とニヤニヤ笑っているような気がするし……というか実際笑っていたし、おれにとっては屈辱と苦痛を味わうだけの時間だった。
一刻も早くこの制度を抜け出すためには、今のところ恋人を作るか子どもを宿すしか方法はない。
だからおれは心を殺し、「これはただの作業だ」と言い聞かせて、婚活と自家受精を並行して続けるのだった。
31歳と少ししたころ、自分が妊娠したことに気づいた。
結局パートナーはできずじまいだったが、もう諦めていたので未練はない。むしろもうあの屈辱的な行為をしなくて良くなったことに、涙を流して喜んだ。
おれは自分で子どもを産むことを快諾し、書類をまとめて国に提出した。
マタニティライフはそれなりに辛かったが、十月十日もすれば子どもを出産した。おれにそっくりの男児だ。
一応、没交渉だった実家にも事後になるが報告をした。
おれが「自家受精」を選んだことについて、電話口で「そうか」と言った父は少し気落ちした声だったが、最後には労いの言葉をくれた。
それでおれは、自分の孤独な人生が少しだけ、報われたような気持ちになれたんだ。
子どもが発語してコミュニケーションが取れるようになれば、また生活の雰囲気も変わっていった。
実家を出てからひとりだったおれは、新しい家族にすっかりと心を奪われた。
こいつが独り立ちをするまではしっかりと育てよう。そのためにと思えば、不思議と仕事にも精が出るものだ。
それから月日が流れ、子どもが6歳になったころ、父が死んだ。
おれは喪主をつとめるために、新幹線で3時間の距離の実家へ子どもを連れて戻った。
葬儀には近所の人が3人と、役所の人間が1人来てくれただけだった。
そこでおれは初めて、父の孤独な生涯を知った。
おれが家を出たのは高校卒業後。母親のいない父子家庭で、息の詰まる生活に嫌気がさしたのが理由だ。
その後も父から干渉はして来なかった。
今思えば、それがおれにとってベストだと全て知っていたからだろう。
そこまでおれのことをわかってくれていたのに、おれは父親のことを知ろうとしなかった。
寂しい人生だったのではないか、もっとしてやれることがあったのではないか――。
ああ。親不孝なおれもきっと、似たような最期を迎えるのだろう。
この光景を一生忘れないようにしようと、戒めを込めて、人のいない葬儀を目に焼き付けた。
つつがなく式は進み、終盤に差し掛かる。
おれは立ち上がると、参列者に向かって一礼した。そしてマイクを口元に添えて口を開く。
「本日はご多用の中、亡き武者野孝治・千八のためにご足労いただき、誠にありがとうございます」
おれの顔を見て、参列者がどよめいた。
それもそのはず、遺影の写真の顔がそっくりそのまま挨拶をしているのだから。さらに隣の息子ももちろん、同じ顔でおれの隣に立っている。
「自家受精」で産まれた子どもは顔も中身も親そのままに、クローンで生まれて来る。
そしておれも武者野孝治・千八の「自家受精」で産まれた1009番目の武者野孝治・千九であり、息子は1010番目の武者野孝治・千十。
後ろについている数字は武者野 孝治が代替わりをしたナンバーであり、自家受精施設の職員が笑っていたのも、名前ではなく数字を見て「こいつ心底モテねえな」と思ったからだろう。
恋愛ができる人間は他人と交わり、新陳代謝を繰り返しているというのに、武者野 孝治は何十年、何百年と同じ姿を未来に繋いでいる。
自家受精を重ねて示された数字は、人に愛されたことのない証の数字である。その事実を苦に自死し、呪われた血を絶つ人間は山ほどいるが、武者野 孝治は自殺もできない小心者のために、世界一長く存在し続けている個体になってしまった。
いつまでこんな地獄は続くのだろうか。
どうか次こそは誰かを愛し愛されて、武者野 孝治を終わらせて欲しい。
何も知らない我が小さなクローンの頭を撫でながら、おれは再びマイクを口元に近づけた。