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時空を超える策を打つ。(玉川髙島屋の配信を終えて)

新しい試みを決断するということは個人においても法人においても難しいことだ。なおのこと大きな企業ではその難易度というのは想像に難くない。

髙島屋は1831年から続く老舗企業である。催事の広告宣伝、均一ストアなど革新的な事業してきた百貨店の雄はトップランナーだからこそハコの中でモノを売る商売だけではない道を探っていたのかもしれない。
1963年に東神開発を設立し、不動産事業に本格参入する。
モータリゼーションの波が北米を席巻し、郊外の百貨店やショッピングセンターが注目を浴びていたこの頃は、高度経済成長時代が始まり日本ではまだ都電が走り、大都市ターミナル駅に百貨店が揃っていくような情勢であった。

そのような中、1969年に玉川髙島屋ショッピングセンターが開店する。
当時の日本としては、異例のショッピングセンターの中に百貨店がキーテナントとして出店する形式である。これは北米の最先端のモデルを率先して導入するという英断でもある。

老舗という看板を背負いながら新しい試みをするのは難しい。どうしても人々は「髙島屋」を期待する。しかし、その期待をいなすかのように、新業態を当時まだ郊外であった二子玉川の地で実践する。いわば、老舗の和菓子店の若い次期跡継ぎが作ったモダンカフェ業態のようなものである。消費者としてもおっかなびっくりの気持ちで見守るようなものだ。

その結果が50年経った今どうなったのかは語るべくもない。
地域住民に支持される館としてコロナ禍にも負けず君臨する。

北米の手法を真似るのが、今の時代の適合する手法かは検討の余地があるが、やはり10年先、50年先も生き残るためには、どのようなフェーズの企業であっても、情報を取り、分析をし、打ち手を続けていくことが大切だという基本的なことに気が付かされるハコである。        (K.T)

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