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新プロポ ルサンチマン
「復讐するは我にあり」
政治に限らない、文学や芸術の創造の源は「上下関係の」闘争である、
決して政治主義や芸術主張の横の関係ではない、その前に発生している恨みやコンプレックスを晴らすルサンチマンである。
求めて応じるものにしたがって、芸能スポーツの分野では貧乏への脱却が多く、思想芸術では挫折や逆境に抵抗する者が多くあらわれていた。
江戸時代には主義主張や制度の前に、富者と貧者、上級武士と下級武士の半目があった。
現代においても、たとえば
小林秀雄の次席を抜いて文学の新人論文賞を取った共産党の宮本顕治は、小林をライバル視していた、
中曽根 康弘は首相になったとき、共産党のリーダー不破哲三に、これからはオレたちの時代だな、とうそぶき、
最近まで共産党リーダーだった志位和夫は、世襲議員の安倍元首相と同じでお坊ちゃん育ちで、リーダーになったときは好きなピアノ演奏を得意げに披露していました。
そんな世襲の安倍さんを除いてみなさん、東大卒のエリートで、主義主張の右翼左翼を問わないでもライバル関係だそうで、みなさん、日本はオレたちが仕切ってやるぞと思ってやがる。
今でも同じ党の陣営内でも何かとエリート顔しているそうで、あるテレビで自民党議員が東大卒の議員はあまり逮捕されないと不満そうでした、
警察や検察も東大卒が多いからって、仲間意識があるわけがありませんよね。
それにしても自民党の女性議員が「あの人は東大でも経済でしょう、あたしは法学部なのよ」といったのには驚いた。
導かれる、われわれ下級国民はとても恐れ入ります。
それに
以前の大学紛争でも、各大学内の機構の不備を問う前に、大学間の偏差値コンプレックスの不満爆発が根底にあった。
このように
主義主張の前に、国内では昔の身分に代わって学歴制度があり、リッチとプアの上下関係の闘争があって、世代闘争もあった、
国際間の関係では、主義主張の前に人種間の闘争があり、「肌の色」の闘争もあった。
また革命家というより革命論者だったマルクスがいうように、
健全なサラリーマンが革命を起こすはずもなく、かれが悪態をついて批判していた知識人の不満分子や、ルンペンプロレタリアートみたいな虐げられたロシア労働者や中国の貧農民が立ちあがるのは当然でした。
頭でわかっても底辺に生きる国民の心や体感覚もなく、画一的にロボットみたいに捉えて、文学的感受性も薄くて即物的に捉えるのはかれの末裔たちを見てもうかがえられました。
なので共産主義国でも、資本主義国と同じように縦の上下関係が出来あがったのは同じ人間社会なので当然でした、
資本主義国でも、危険なはずのマルクスの資本論が大学人や知識人に「教養」として読まれるのも、これまた安全で当然でした。
さらに
いつものようにアメリカのハーバード大学の卒業式では、捕まったら即、拷問され殺される覚悟で闘った中国革命世代と違って、生まれたときから裕福で名門家系で育った「孫たち」が、笑顔で記念写真でも撮っているのが新聞を賑わし、高級車を乗りまわして楽しそうで、日本の世襲議員もアメリカに多く留学しているから、たぶんライン交換しているかもね。
これからの世界はオレたちの時代だな。
まるで以前の絶対主義時代の国家みたいで、敵対国でも王侯貴族は「お互い親類親戚付き合いで」、ナポレオンは身内を各国の王族と姻戚関係を結んでいたので、島流しにあっても処刑されませんでした、
ヒトラーとムッソリーニも姻戚関係や商売関係でも結んでいたら、戦争に負けたら勝者の生け贄といえ、命の危険も罵倒もあんなにひどくなかったでしょう。
こんなことは暗黙で了解しても、エリート卒が多い大学の先生が教えるはずもなく、われわれは社会に出て、そこはかとなく歴史の真実を学んでいくのです、
自由な束縛のない文学芸術を学んでいても、社会に出てみれば、テレビと新聞と出版社の内部でも主義主張の前にいつのまにか「出自」の上下関係が出来あがっていて、存亡の危機になって初めて才能中心の改革に乗りだす、お馴染みのパターンになっていきます。
このように身分でも、学歴でも、世襲でも優れていればいいけれど、初期の反骨野心は薄れナアナアになって気概も薄れ、プライドだけが高くても才能がないのに他を押しのけていけば、われわれ庶民も怒ってルサンチマン。
/
上級国民が革命反乱するわけもなく、虐げられた下級階級が新体制を興し、
江戸時代に画壇で大手を振るっていた天才の家系の狩野派に変わって、明治時代には田舎者や平民出身の芸大生に取って変われていった。
しかし、実れば熟し、熟したら腐り落ちて、やがて貴族化して、また新しいものに取られていった。
「武芸で」大名まで成り上がって御公儀指南役になった柳生新陰流も、将軍指南役のために対外試合ができなくなって単なる政治的剣法になり、武芸の実力は諸藩や町道場に取って変われた、
明治維新の新体制の偉人の子供たちも、裕福で知名度も上がり名士になって、
芸大生も東大生も世間体に甘やかされて、クリエイティブの源であるハングリーさも欠けていった、
江戸時代の名門武士のように、先輩の作りあげた伝統の上にあぐらをかいて、特権を守るために必死だった。
素人目でも
芸大生の芸術はたしかに上手で洗練は、されていた、
初期の頃に作家で活躍した東大生も、昨今では頭の良さを買われて学者や翻訳者が多く、あえて作家になろうとする人が少ない、というか海外文学を紹介して翻訳みたいな文章で通用するような時代ではなくなっていた。
むかしのようにシェイクスピアとかゲーテを口に出し、現在では覇権大国の娯楽作家を翻訳紹介したら流行思潮とでもおっしゃっりたいのですか、われわれがハハッとひるむとでも、ジャズやロックのミュージシャン気分、やがてミニスカートや長髪みたいに廃れて、シェィキラッベイビー。
たしかに夏目漱石は偉かった、とその時、彼は言った、なんて授業中の夏目先生の英文解釈が浮かび、戦前の作家が江戸末期の文章を読むように現代人には感じられ、偉大な漫画家だった手塚治虫の漫画は、現在の青少年にはどう映っているんだろう、
現代の作家は模倣ではなく改良革新、パロディ破壊して乗りこえてきたのでした。
じっさい、初期の特長だった偏差値の低い「家庭出身者の」芸大生とか東大生は、今では小さい頃から教育環境に恵まれ、裕福な家庭の出身者が大手を振っているようです。
いつのまにか保守派に衣替えしていたのかな、世襲議員みたい。
そんなわけで、いつしかテレビ局も本来の批判精神も忘れ、人一倍サラリーもらって上級国民気分、
局の外ヅラを作って東大生を入社させても報道センスもないのに、世襲や同窓の官僚とはお友達気分で、お金持ちの選挙民がヨリお金持ち議員を投票するような、まるで戦前の選挙みたいです、むずかしい政治はえらい人にまかせましょう。
でもひと言いいですか、のぼすんな。
局のしのぎ部門の芸能でも、勉強ばかりして芸能センスがないので、スポンサーや人気タレント、政治家に局アナを上納するしかありませんでした、
そうグチッても、本当ですか、ですよね、なんて。
/
そんなわけで
工学博士の武田邦彦です、専門知識もないのにテレビで、芸や言動で名前を売って政治家になりたいなんて、政治家ってくだらないもんです、
一応、わたしは選挙にも出ましたけどね
戦後の大学進学熱が高まって、以前の大学紛争のとき、先ほどのように肝心の大学内機構の不満より先に、大学の間の偏差値コンプレックスがあって不満が爆発、主役の日大全共闘と東大全共闘の処分の程度は明らかでした、そうでなくても東大卒を鼻にかけて威張っている人がいます、
とりあえず、わたしは東大を出ています
それにタバコがガンの原因と言ってますけど、あんなの嘘っぱちです、
わたしはタバコを吸いませんけどね
また高血圧が体に悪いと言ってますけど、そうでもないです、
でも、わたしは血圧は正常でむしろ低い方です
最後に、
なんだかんだでいま、わたしはYouTubeによく出ていますけど、
YouTubeはアメリカ資本なので、バンされないようにアメリカ批判は控えめに、中国の蛮行は決して許しませんよ、ワハハハ
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バスキア(Jean-Michel Basquiat、ニューヨーク 1960ー1986)
Acrylic, silkscreen and ollstick on canvas, h223.5xw195.6 cm. (Estate of Jean-Michel Basquiat)
ちなみにむかし、ゴッホの絵を大金で買った成金サンが話題になった、とても愉快そうに笑顔を振りまいていました。
そして、1982年作のバスキアの大作《Untitled》を、現在の成金サンである前澤友作氏が2016年5月に約5700万ドル(当時のレートで約62億円)で購入して、これまた話題になり、絵の前で得意満面そうでした。
それなのになぜかオークションに出され、2022年に8500万ドル(約109億円)で落札されたそうです。
絵画は展覧されるのが目的なのに盗まれたら大変、誰にも知られずに大事に金庫にしまっておこう、いくら商売人だからって、まさか転売目的ではないでしょう。どうも失礼いたしました、お詫びします。
おもえば芸術や文学のジャンル、お金を稼げなければ大人の世界では通用しません、いくら内容が優れていても相手にされません、趣味の分野。稼げて初めて振り向かれ、商売になりそうだと手をモミモミ、笑顔で近づいてきます。
先ほど優秀な東大生のことをおもわず揶揄しました、でも中には気骨ある人もいて、以前に元東大全共闘議長で大学批判して逮捕され、物理学が専門の山本義隆さんは大学に戻れることもなく戻ることもなく、予備校の先生をやりながら生活の糧を得て学問を続けていました、奥さんは大変や。
ふとむかしのイタリア人ブルーノが処刑され、ガリレオ・ガリレイの刑務所行き、さらに現代のラテンアメリカ詩人のO.パスやネルーダらが、大使職や身を投げ打って政府に抗議したことが思いだされ、本人も大変だけど、幕末維新の偉人を支えたような奥さんたちはもっと大変です。ほんまやで。
体を張って闘っている人には基本的に応援したくなりますよね、いまも80歳過ぎてご健在です。だから山本さんの物理学の本や、ボーアの翻訳本をたびたび読んでいることがありました。
あるときかれのルネサンス時代の自然科学史を読んでいて、ルネサンスの画家たちの社会的地位が低いことに著者は驚いていました、職人の大工さん以下だったそうで、19世紀フランスのアンデパンダン時代まで不遇が続いて、レオナルド・ダ・ヴィンチはなんとか社会的地位を上げようと苦心していたそうです。
そんなこんなで
やっと日の目を出たのが、新大陸のアメリカで金儲けした資本家が印象派をとても気に入って、買いはじめたときからでした。
いつの時代も政治家や商売人の考える発想は同じで、他人の汗と血の上で稼いだお金はけっこう贅沢に、「無駄使い」したがります。
でもそれはそれでお金の収入が手に入れば、人が群がって、社会的名声を得て社会的地位も上がって、大学ができればエリートが近づいて、世間的にも受けがよくなってくるのでした。希望者が多く、競争も激しいけど、がんばればお金も名声も得られて、セレブな甘い生活、ドルチェ・ヴィータ dolce vita 。
なのに大学でもテレビでも美しい言葉や洗練された画風が展開されて、一躍名声を得られていくのに、なぜかいまいち美術界全体が伸び悩み、新しい気風が生まれ来なくなっていきます、似たりよったり。
なんでかな。
お金も名声も昔と違って、意外に短期間で得られているのに、そうなんだ、ぐらいで一般の人々に今ひとつ手ごたえがなさそうです、大ヒットしているのに一部の人だけ知られ、世の中に流れてこない歌謡曲みたい。
そして最終的に外面が優美に着飾って美しく洗練されればされるほど、中味は貧しく枯渇していくのは世の習い、歴史の掟です、やがて落ちつくところに落ちついていきます。
政府や会社企業、芸能、テレビ業界ばかりではありません。
実れば熟し、熟したら腐って、やがて落ちていく自然の定めです。