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長編『君の住む町で』 -9


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「皆さん、落ちついてください」

 落ちついていられるわけがないじゃないか、こんなことして私たちまで殺してしまうんじゃないだろうな。市長はうつ伏せに倒れていた、頭の後ろ、首の少し上を撃たれたらしい。銃弾の痕が残っている、頭は破れていない、撃たれた痕だけが生々しかった。初めての死体、死体となった人間、犬や猫の死骸が通りでころがっている生々しさはなかったものの、やっぱり時間がたってくるとおぞましく、ただきれいに体が損傷されていないことだけが慰めだった。
 そんな慰めなんかどうでもいい、いったいどういうことなんだ、この室内のいる五十人ばかりの人たちは恐怖を感じながらも、指揮官に詰めよろうとした。指揮官はいたって冷静だった、西部劇のガンマンみたいに銃口に息を吹きかけ、一丁あがりのつもりか、どういうことか説明してみろ。

 指揮官は腰をかがめて床に倒れている市長の体にふれ、たしかに死んでいることを確認、なんのためらいもなかった、死んでいる市長を見てなんの同情もないようだった、そのことがいやがうえにも私を不安にさせ、どういうわけがあるのか知らない、わけがあっても平気で人を殺せるものなのか、私はこういうことが仕事なんですよと言いたいのですか。
 そうすると私たちもいろんな理由をつけられて殺されてしまう、いいわけのできない罪状で殺されてしまうことだって、いま冷静にみても、こんなところで理由をつげられずに閉じこめられていること自体、そもそもおかしい恐怖だった。私たちは声を出せない、そんな状況、意味も理由もなく室内に閉じこめられ、なにも見いだせない市長の殺され方に恐怖が増していた。

 私たちが驚いて暴動させないよう、武器を持った特殊部隊の警護も手伝って、指揮官はそばにいた部下のひとりに何ごとか指示している。部下はすぐさまその場所を離れ連絡に行くようだ、なんの連絡、もしかしてこれはクーデタ、そんな大げさなことがいまの日本にあるわけがなかった。
 昔の五・一五事件とか二・二六事件みたいに、いや、わからないぞ、最近の情勢からしてあり得るかも、左翼はまったく退潮後退して、いまどこに行っても右翼的な発言ばかりだから、革命はあり得なくてもクーデタはわからない、あるかもしれない。それにしてもどんなことで、なんの目的でそんなこと、たかが市長ひとり殺したところでなにが起きる、そんなえらい市長とも、また国内の権力を集中しているのがこの人なんて、そもそも一人の市長にクーデタを起こさせるような権力があるはずもなかった。

 逆にクーデタを起こそうとしたのが市長だった、それを未然に特殊部隊が防いだのかな。指揮官はなんにも、倒れた市長をそのままにしてしばらく考えあぐねていた、やおら室内にいる私たちに声をかけてきた。

「皆さん、落ちついてください」

 だからそんなことはわかっている、わけを言え、どういうわけで市長を殺したんだ、もっとも好きな市長じゃなかったけど、殺されるには理由があるだろう、簡単に人を殺しちゃってどういうつもりだ。レイモンド・チャンドラーのハードボイルドでも、こんな簡単な殺人法はないぞ。

 少しばかりの読書人をよそおっても意見などなかなか口に出せない、このときばかりはいかに小心者かわかった、文学をかじると自我に強くなってもやっぱり気が弱くなるんだな。
 人はそれをナイーヴな感受性と呼んだ、ほんとはただの小心者、そんなこといまはどうでもいいじゃないか、わかっているよ、ただこの事態をどうにか把握したかった。私たちは銃を向けられたらやっぱり怖い、でも黙っていたら、いつまでたってもわけもわからないまま、ずっとこの状態だ。リング内で騒ぎが起きてから何時間もたっているし、煙もうもうの犯人捜しが行われ、市長が殺された、この展開の意味を教えてほしい。

 たぶん私のこの考えが指揮官に届いたらしい、さすがになにもいわずに私たちを閉じこめていることに罪悪感があったのか、口を開いて説明をしてくれる様子だった、それに他の人たちや、さとしと姉の方はどうなったのだろう、知りたかった。それも、もうじきわかるはずだった。
 その証拠に、そのときドアの外で足音がしてきて、だれか二、三人やって来るような靴音、鍵をさし、ドアを開ける音がする。いま振りかえればそのときが物事の転換点だった、入ってきたのはさとしだった、特殊部隊の男ふたりに付きそわれてというか、連れられて室のなかに入ってきた。

「おおっさとし、無事だったか」
「あっ、おじちゃんもこんなところに閉じこめられていたの」

 ああ、返事ともため息ともわからない声が出た、とにかく安全で無事でいられたのはよかった、もうすでにこのときは、まるで昔からの知り合いか肉親のような仲になっていた。

「お姉ちゃんは」
「途中ではぐれちゃったんだ」

「おまえはどうして、ここに連れてこられたんだ」

 どうして。

「それよりもおじさん、顔になにか付いているよ。取ってあげる」

 さとしは何か、執拗に私の顔をひっ掻くようにつかみかかってくる。わかったわかった、もう少しやさしくして取ってくれ、なにが付いているのかわからない、もう少しやさしく。
 だけどうまくからまって取れないんだよ、もっと静かにしてくれない、とさとしは私をやさしく諭すように、だからもう、顔にからまっているもの、おもわず私はわっと振りはらった。

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