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新プロポ 徳の質 itselfs power

 火には火の持っている特徴と力があり、水、土地、空気にもそれぞれ「個」の徳性があって、人間にも同じように長短裏返しで、個人の徳性があります。

 かなり以前、巨人軍の原さんが現役で四番打者だった頃、バントして塁に出たら、ファンからブーイングが起こりました。
他の打者だったら、みんな喜んで拍手喝采していたのにブーイング、
巨人の四番打者がちょこんと打って塁に出ても喜ばない、試合は勝つことに意義があるけど、ファンはゲームの面白さや醍醐味のあるエンターテイメントを見に来ているんだ、そんなものを観戦するための入場料を払っているわけじゃない、と怒っていたそうです。それほど昔の王、長嶋は偉大ですごかった。

大相撲でも伝統を重んじるのか、横綱がはたき込んだり、横に跳んで勝っても親方は渋い顔、相撲道は国技で単なる格闘技じゃないって顔。
横綱が格下の相撲取りに「どうどうと」受けてたつイメージは、昔の相撲取り、特に双葉山の勝負取り組みにあるらしかった、
なんでも双葉山の不滅の連勝記録を破った対戦相手の関取は、観察してどこかクセのある違和感があったのを感じていたそうです。
じっさい双葉山は引退後に片目が見えていなかったことを語りました、ハンディを隠して闘っていたのです。

ご存じのように片目をつぶったら、距離感も方向感覚もフラフラして大変なのに相撲どころじゃありません。
でもピンチはチャンス、
ハンディを活かして、みずから突っ込んでいかなくてもゆっくり見て勝つ方法を見出して、横綱相撲を取っていました。

人は誰でも、コンプレックスや恵まれない生まれた時代とか家庭環境でいい訳をしたくなります、
ボクなんか、そう、すみません。
平凡に生きたい人とか庶民で生きていきたい、そんな健気で立派な人はともかく、何か生きた証拠を残したい人やクリエイティブをめざす人は、ハンディやコンプレックスは「宝」です。

『ジャズ』 イカロス 1947
マティス(Henri Matisseフランス 1869- 1954)
切り紙絵20点のひとつ、版画集 テリアード出版



 スターは、暗闇がなければ輝かない。
遠くに跳ぶためには、後ろに下がって助走をつけなければいけないし、
喜びは平凡でも悲しみのあとからやって来るとは、よく聞かれる言葉です。
平凡な作家はともかく一流作家だと自称しても、三流の人が多いのがこの世の中、
深く広く思考して鑑賞されるには、デイープでワイドさが求められています。

マティスが切り紙絵を始めたのが体を悪くして、ベッドに寝たきりになったからだった、
岡本太郎は生前よく語っていた、ピカソが27歳で名が売れたのがよくなかった、早すぎた、じっさい晩年は息切れしていたようでした。
同じ画家の岡本太郎は50歳まで、朝起きたらどうやって食べていこうかと悩み、それでもなんとか挿絵とか唯一空襲で焼け残った背広を着て、講演をまわしてもらっていたのか、談話もいつしか得意になっていました。
もっと悲惨だったセザンヌは、後にそのピカソたちから現代絵画の父とか母といわれても、いつになっても名が売れないで親に媚びる不甲斐なさに落ち込んで、初めて個展を開いたのが56歳で、人生の充実した盛りのときに一番惨めでした。

ベートーヴェンの傑作は耳が聞こえなくなってから、
サルトルは晩年に目が見なくなって、むずかしい文章から対話の文になって読みやすくなりました。
ニーチェは数学が人一倍苦手で、
アインシュタインは歴史や国語が落ちこぼれ生徒だった。
ロックフェラーや金持ちになった商売人は、人一倍差別され貧乏人の小倅が多く、
政治体制を作った偉人は、ほとんどが偏差値が低い出身だったし、
発明王エディソンは耳も少し聞こえなくなって、1%のひらめきと99%の努力といい、
レオナルド・ダ・ヴィンチやムハンマド(マホメット)に一休さん、ちっちゃい頃から身近に両親がいなくて、ひとりぼっち。
それに勉強して作家になれても、詩人は天分と共に挫折やコンプレックスが不可欠でした。

そんなの一部で特別じゃないかといえば、一部でもあればいいじゃないかともいい、クリエイティブをめざす人はそんな人で聞く耳持ちません、困ったもんです。
スポーツマンになるために身体を鍛えて、学校に入学するには勉強して、人間を対象にする芸術家には、技術のほかに人生経験も不可分でした。

あんなに批判され、悲惨に抑圧される政治の活動家、それに芸術家や芸能人で成功するのはほんの一部だよ、と分別くさく諭す傍観者は、いつも建て前が好きでどこか感傷的でした。
でも成功したら近寄って、昔からの知り合いでダチ仲間さといいふらしていました。

 とにかく世の中はそんなものとひらきなおって、楽して才能がある人はほんとにともかく、自然は負荷のマイナスイオンを与えなければ霊感もパワーも生まれてこないみたい。
自然物ばかりでなく、人でも皆、それぞれひとりひとりの生まれついての「徳の質 」( itselfs power )を持っているようです。

みずから求めないでも、今ある不遇な人は「考え方ひとつ」で変わって、追いつめられないとわからない、自覚もしない平凡な私に、自然は私が生まれついて、何かひとつぐらい持っているだろう才能を目覚めさせようとしているようだった。



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