
「短編コント」 ゴッホといえば、絵描きサン
なにか体の運動をうまく動かすには、
準備体操とか体をいじめて
鍛えておく必要があるように、
人は負荷(マイナスイオン)を浴びなければ、
体ばかりでなく、頭も心も、躍動しないし発揮できない。
それをコンプレックスや挫折感、
ハングリーとかに置きかえてきた。
そうやってじぶん自身を見出してきたのだった。
小学校の頃、近くに無料で入れる小さな動物園があった。その中でも場所を取ってもらって、岩や木々に何匹かサルたちがたむろしていて、その皮をむく習性をねらってラッキョウなど放り投げて遊んだものだった。
ほら、むいてみろ。小さなものは器用に受けとって、指先でモゾモゾしながら口に入れていた。さすがに目にしむるタマネギを放りなげたら、少し大きいだけではなく何かを察知していたのか、いっしゅん目で追っても手さえ出さなかった。
ヒトの自我を考えるとき、ふとこんなことを思い出してしまう。じぶんの我を一枚一枚はがしていったとき、最後に残ったものはいったいなんだろうか。それに政治とか芸術がからめばどうなるかと案じられます。
歴史の本を読むと、苦難のあとにやっと事が成し遂げたと思ったら、じつはその後がいちばん大変のようです。内輪もめが深刻です。
少し前の中国、革命が成立した後の毛沢東周辺の権力の争いなんか、見ていてすざましいものがあります。文化大革命のとき、中国国民から慕われた周恩来でさえも、ヤリダマに上がる気配でした。
中国歴史を見ると、ほとんど、そう。明朝がなったとき、皇帝になった洪武帝は、いままで一緒ががんばってきた同志をほとんど粛清している。それも家族もろとも、インネンつけて殺している。
だから中国歴史文化に詳しかった勝海舟が、明治維新後、一歩退いた所にいたことが多少理解できるのだった。
政治の場面に限らず、思想文化でも、よって立つ人たちは自己主張があふれているから、もう大変。サルトルとメルロ・ポンティは最初はなかよくやっていたのに、意見の違いで決別した。
それに女がからめば、言わずもがな、察するというもの。戦前の社会運動家、大杉栄と堺利彦、山川均の共闘破壊は、ご存知の日蔭茶屋で神近市子に切りつけられ人情ざたになったのが原因だった。大杉はしばらく病院で療養しっちゃった。
ビートルズのポールとジョン・レノンが離れたのも、オノ・ヨーコが近づいて、何かと女どうしがなにやら、点、点、点。
大杉や山川たちも迫害され、何度も刑務所に出たり入ったりして、やっと運動が軌道に乗ったところで、女が現れて仲が外される。ビートルズもそうだった。シタズミのときは、苦労したもんさ。
でも本当は、表面的なものと違って、いままでの借り物で、頭で作りあげたものでない、じぶん自身のオリジナリティを作りあげて、誰でもないじぶん自身を創造するキッカケにもなった。
○
とはいっても、
じっさい「我」が強い者どうしがいるところは、
大変でしょう。
ミュージシャンどうしで、
相手を少しでも批評するもんなら、
つかみあいになっちゃうかも。
だから話すとしても、
些細なこと、そのピックいいね、
どこで買ったの、ぐらいが関の山、朝乃山でしょう。
(どうも、すみません)。
それが一緒に同居するものなら、
どういう事になるか、考えただけでも、
考えなくてもわかります。
それも歴史に名前がとどろく、我の総本山、
画家のゴッホとゴーギャンが
一緒に同居しようものなら、
仲よくハニカミながら、
食事する風景が想像できるでしょうか。
以前、大家の小林秀雄のゴッホに関する
評論を読んだことがあった。
ゴッホにとって、「労働」とは何か。
たぶん真剣な顔をして、
考えていた文章を読んで、おもわず笑ってしまった。
それでは、
自尊心の強い芸術家どうしの同居が、
どんなものか見てみましょう。
同居しているゴーギャンが、
なにやらゴッホにいっているみたいですよ。
ー ー ー
「お前はふた言めには、労働とか、働く意味とかいっているけど、一度でもいいからまともに仕事をしたことがあるのか。
オレを見よ。一枚の絵を描くために、朝から汗を流して、日雇いをやっているんだ。それをなんだお前は、弟から仕送りしてもらっているだけじゃないか」
なんにもいえないゴッホだった。
ある日、二人は田園で写生画を描いていました。すると、ゴッホが向こうからやって来て、ゴーギャンの絵を見ていった。
「ダメだ、ダメだ。絵を薄く描くと、こんなふうに水っぽく、ペラペラしてしまう」
そういって、ゴッホは頭をかかえこんで去っていった。
「なんだ、あいつ。お前こそ、絵をベタベタ塗りたぐりやがって。もうあいつとは一緒にやっておれん。家を出ていく」
数日後、ゴーギャンは少ない荷物を持って、家を出た。道を歩いていると、突然ゴッホが前に現れて、出ていかないようにせがんだ。ふとゴッホの手を見ると、カミソリを持っている。
「なんだなんだ、やるのか」
すると何を思ったか、ゴッホは何事か叫びながら、そこを去っていった。
「なんだ、あいつ」
我が強いけど、小心者が多い、芸術家の一典型的なゴッホだった。いやはや自意識の強い人どうしは、とても大変みたいですね。
後年、そのとき持っていたカミソリが、ゴッホの耳を切ったモノではないかと、絵画ファンの間で持ちきりだったそうです。