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長編『君の住む町で』 -8



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 窓の外の赤い花、なにも知らず俯きかげんに咲いていた。
 花は考えることがあるのかな、どんなこと、ただ無意識に俯いて、じぶんは考えないで私たちに考えさせる即物的存在、動物や人間を介して生きていても私たちが植物に生かされている、脳あるものだけが考えているなんて大間違いだぞ。

 指揮官と市長はこちらを見て笑っていた、なにかとても楽しそう、スムーズに事が運んでいるらしい、ゆとりもあった、市長は愉快そうに指揮官に話しかけてもこちらには少しもとどかない、日常生活のことかな。

「きみ、この仕事初めて何年になる、奥さんとうまくいっているかね。うまくいくことに越したことはない、しかしなんだな、女というものは知らずのうちにいつのまにか強くなっているね、子供ができたら、特にそうだ。たしかニーチェだったかな、『権力は忍び足でやってくる』、本当だな。でも気をつけた方がいい、奥さんを優しくするのはいい、その方が家庭もうまくいくだろう、それも限度ものだね。優しくしても、女が男より強くなれば男は舵取りが危うくなる、私が政治家だからじゃないよ、きみ、気をつけたまえ」

 指揮官はにこやかに答えて、「ありがとうございます、そのようにこころ掛けます」、そんなふうに。
 いま指揮官の部下らしき者がやってきてなにか報告している、指揮官はうんうんと頷く、本当かと一瞬戸惑って、何事か思案中。いい考えが浮かんだらしい、すぐさま指揮官は部下をひとり連れてその場から離れた、おやっと市長、おい、どうしたんだ、どこへ行くんだ、ここは大丈夫か。

「心配ありません。すぐ戻ってきますから、大丈夫です」

 しばらく指揮官は逡巡していた、まあいいか、駆け足で去っていった。よほど大変なことが起こったとか、騒動が持ちあがったのかわからない、いまここにいる私たちにはとりたてて関係あるようでもない、関係があってほしかったのに。

 大きいところから小さい枠のなかへ閉じこめられ、不安になったらいいのか、後で余興として世間話のネタになるのか、それすらわからない、現在の環境のなかで判断しようもない、ただ日頃考えてもいなかった将来のことなどをめぐらせたのはよかった、しかしそんな悠長になっていられないムードになっていた。

 その証拠にものがたりは急展開、そう、ものがたり。私はいまあるこの状況がもしかして小説のネタとか、後になってみたらいい体験になるとか、日常生活ではめったにない、非現実的なものがないルーティンな生活のなかで、興味的な体験になればと期待していたはずだった。
 小説のなかの物語、読んでいるときはおもしろく興味深い、でも読み終わって冷静になり、やっぱりおかしくてすぐ頭のなかから文字が消えていく、その点いまあっているのは本当で現実のことだから、いい経験になるだろう。

 多少は文章に活かせる、あわい考えがあった、しかしそれ以上のことではなかった、傍観者風だった、身の安全が保たれている範囲だった、それがこんなことになるなんて。


 すぐさま指揮官はそそくさと元のところにもどってきた、ただ黙したまま、やおら指揮官は拳銃を取りだし、いきなり市長の頭の後ろに銃口を押しつけ、引き金をひいた。

 あっ純文学ではありえない展開、一瞬にして現実的世界が非現実な世界へ突入、じっさい日常茶飯事ではありえないはずだった、そう新聞やテレビのこちら側ではそうだった。

 もちろん、教科書に載るような教養ある文学者に好まれる題材でもなかった、描写でなかった、大衆文学じゃないんだからきみ困るね、偏見じゃないよ、明治以来の小説文化を馬鹿にしちゃだめだよなんて主題になってきた。てやんでえ、たかが小説じゃないかそんなえらそうに。そういえば戦前の作家には、江戸の戯作作家を馬鹿にしたような文章もあった、勘ちがいかもしれない、そんなふしもあったなどとまた悠長に悩んでいる場合じゃなかった、目の前の事態はどういうことなんだ、さっぱりわからん。


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