「1パーセントのプロポ」 ルーティーン
一芸に秀でた者を入学させたがるW大学、
一芸に秀でた有名人の子どもを入学させ
セレブ大学にして入学生を集めるK大学、
どちらも名を広めて学生を募集し、末長く運営していかなければなりません
むかしと違って、
昨今では入学試験でも、
なぜか教育費がたくさん出せる金持ちのお子さまばかりが
いい大学にいけるようになって、
教育の主旨が何がなんだかわからなくなった
あたかも虐げられた下層民が革命起こして
今度は自分たちが貴族化し、
圧政に苦しんだ国が独立したら
今度はむかし虐げられたことも忘れたかのように
逆に原住民を皆殺しにして、
使役するためにアフリカからわざわざ引っ張ってきて奴隷にし、
それでも足りなくて外国まで戦争を仕掛けていくのに似て、
いつのまにか気づくと上下関係ができているのでした
考えてみてば、
考えなくても同じことの繰り返しで、
人民の、人民による、人民のためとか、
労働者によるとかいって、
また階級闘争の歴史とかおっしゃってもじつはなんのことはない、
歴史始まって以来、じっさいは1パーセント支配の歴史だった
いま、労働者の党をご指導なさっている方も東大を出て、
ピアノを優雅にお弾きになられるようで、
だからこそ外見的で選ばれるとか
生まれ育ちも北の朝鮮のお坊ちゃまと似たようなモン、
そういったら、
怒りながらも、バラすなよって苦笑いするのが関の山だろう
(あれ、ところで朝乃山はいま何してんだろ。元気でやってんだろうか。こっちのほうが心配だよ)
だから、
親の力でのし上がった保守陣営の2世3世の皆さんとも、きっと心が通じあうことも多いことでしょうね
文学のお家芸である内面の普遍的愛を求めているのに似て、
現実の人間社会でも人間の考えていることは普遍で、
地球の歴史に比べてみれば、はるかに短い人類史
そう変わるわけもなく、当然といえば当然だった