「プロポ、生まれてみれば」 文学は八百長か。 文学の出自について。
* 人の形づくる思考は、生まれが思想に先立つ
人は法の前ではすべて平等である
文学の前では、ともいい変えられる
かつて
初めは文学の前では、
庶民でも平等に歌われた和歌集も、
いつしか貴族たちが独占して、
貴族の滅亡とともに消えていったように
いつの時代もすなおで素朴に生まれた文芸も
貴族、武士、市民と問わず、時代のエリートが優遇され独占して、
やがてひとりよがりの文芸に陥って狂奔している間に
人々の共感が離れていき
いつの間にか前衛から後衛になっているのに気づいていなかった
そんな前衛的文学や革命左翼ばかりでなく、
他のクラシック音楽や美術の芸術一般に多くみられ
社会的地位が上がるともに、
かえって逆に、一部の知識人層に支持されても、多数の人々の共感が減じていき離れていくのだった
そして現在でも
素朴に生まれた文芸も、
エリートが文学の論壇を独占してひとりよがりの文学になり、
いつしか、独占してハバをきかしていたエリートが消えていった後には、
思春期の子どもたちや刹那的な娯楽小説ばかりをねらったものが氾濫していった
そんなナカでも
有名人や社長さんが書いた本が売れることがあっても、ただアイドルとかハンサムだからといって本が売れているのはもっといけない(と思う)
ここでおクチなおしに、「オートマティック外伝」のなかの一節でも聞いてみよう
「でも兄貴の話を聞いていると、おれと違って頭がいいのにどうして、この業界に入ってきたんです。堅気でもいけるんだと思いますけどね。生意気なこといって、すみません」
「育ちかな」
「冗談でしょう。聞いてますよ。兄貴の父親は東大出の公務員。母親は中学の先生と聞いてます。超エリートじゃないですか。なんで、この渡世にいるのか、まったくわかりません」
「兄妹ふたりは、ともに大企業に勤めている」
「なおさらじゃないですか。わからない」
「まあ、おれだけ突然変異かな。高校のときぐれちゃって、不良たちとネオン街で、学校さぼって遊んでいた。母親には悪かったけど、こちらの世界が肌にあってんだよ。よほどね。それにこの業界にいると育ちというか、生まれが大きく影響していると思ったね。おれたちを暗黙に縛っている、ものごとを考えるもとになっているものがあることを知った。それが生まれというものさ」
「そうかな。そういうもんですかね」
「そうみたいだな。いい家に生まれる、生まれない。美人に生まれる、生まれない。いい学校を出ている、出ていない。最後のは出身だな、生まれに似ている。おれたちのことばかりじゃない。
どこの家に生まれるか、生まれたときからの宗教、生まれた肌の色、生まれた場所、国によって生まれたときから、無意識に支配されている。犯されているってわけ。いいたくないけど、行動基準に影響している。思想よりさきに、生まれが人間の形成に大きく関わっているのさ。
むしろ、生まれがじぶんの思想を形成するってね。昔は身分制度、藩閥、いま学歴。いつしか官僚化され貴族的になって、やがて滅びていく。政治ばかりでなく芸術、文学もね。だからいまある現状には、不満がつねに出てくる。いつも革命や新しい芸術の創造は、偏差値の低いところから、底辺で不満を持っている人間から始まっているんだ。創造されている。
逆に生まれがいい、出身がいいとかえって、足かせになってしまう。頭のなかが縛られていて、大胆に見切りがつかない。旧態のままで。科挙出身のエリート、康有為のように清王朝のしがらみや西太合に遠慮していたのに、魯迅や毛沢東などは、いまいったエリート試験の科挙から自由だったので、思いきって文学や革命運動に推進できたわけだ。『出自(しゅつじ)』とはよくいったもの。よくいいあてているぜ」
「えっ。羊が。そんなむずかしい奴には見えないけどな」
「その羊じゃないよ。まあな、そんなむずかしいものに見えない。単純そうに見える。これが意外と、大変。複雑なものは単純だし、単純なものは複雑にからまっている。とても、複雑な感情なんだ。それも孫とか、甥、姪っ子がじぶんの家系に似ていたら、可愛く見えるという、そんな、あやふやで単純な感情みたいなもの。
これがさっきいったように意外と、根が深くて大きい。単純そうでいて、複雑なんだ。それなのに日本人が好きなアメリカ人、思想が同じだからといって、そんな単純に信じていいのかな。大丈夫かな」
「えっ。手を結んでいるのじゃないんですか。兄弟じゃないの」
「どうだろうか。戦後、むずかしいことをいえばアメリカ人は日本がいつかわれわれを、復讐しないように考えたと思う。あとになって、楯突かないように考えた。復讐するは我にありじゃないけど、武士道精神が日本にはあったからね。心配だった。
アジア人、黄色人種はとてもプライドが高い。インディアンがそうであったようになかなか服従しなかった。しかたなくアフリカから奴隷としてつれてきたわけだ。その代わりインディアンは皆殺しにあった。大きな土地に散らばって、小数だったから亡ぼされた。アジアでは、緊密に人が点在しているから、そうはいかない。
マッカーサーは天皇に会って、ピンと来たかもしれない。知らないうちに、日本歴代の権力者と同じように天皇を表にかかげていたら、予想以上にうまく統治してしまった。これは、本人に聞かないとわからない。結果的に、反抗的な意志をインポテンツにしてしまった。中東のイスラム過激派を異常に敵対させているのは、この点を忘れているのじゃないかな。
日常生活が朝、昼、晩、イスラム教で成り立っているのに、すこしは敬意をはらって接しないといけない。もし、国民に敬愛されているタイの国王や日本の天皇が侮辱されたら、だれでも国民は怒るだろう。特に、血気早い青年は怒るだろう。
だからといって、やり方がいいのか悪いのか、ほんとうはわからない。統治されているのに、逆に英語を話せるのを得意になって自慢しているようじゃ、しようがないね。昔にもあった、どこかの国の共産党指導者が、以前のソ連邦の共産党にペコペコ頭さげて、詣でていたことがあった。
同じように、いまの日本の政府はアメリカにマウンティングされているってわけ。それで政権維持にはアメリカの顔色と派閥、マスコミ対策に目配りさえしていたら、誰でも首相になれるといわれる始末。
悲しいことに力がないからしようがない。思いやり予算という、アメリカにみかじめ的な用心棒代を払って、アメリカ優先の押し売り的な商売取り引き。国の企業舎弟さまさまだ。おれたちと似ているだろう、やり方とやられ方が。
だからおれたちを見ると、政府や警察の皆さまはじぶんたちを見ているようで腹がたつのさ。家の外で、交尾する犬のように。ふふふっ」
「ちゃんと、オチがつきましたね」
「ばかやろ。謙遜だよ」
「それにしても、兄貴。そんなに政治や社会を批判しているってことは、政治家をめざしているんですか」
「そうじゃない。そうじゃなくて、ただ、おれたちを見ているようでいやになるんだよ」
「ですよね」