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新プロポ 政治>文学 From U.S.A. and China 、with love


 PROPOS プロポ 
 フランス語で談話とか話題の意味あいがある、propos de table ( 座談 )など

 良いことは進んでやりましょう、
人の嫌がることはやめましょう。
キリストの積極的なミッション、
ブッダの消極的なまごころ。
長所と短所は合わせ鏡で、要らぬおせっかい、見て見ぬふりをする。

生まれたときから、何かと行事とかマナーで、体に身についているわれわれ仏教徒の日本国民、
いくら聖書を読んでも素晴らしいと感じていても、意外にしっくり来ないのは、単純なところにあるんじゃないのかな。
「気持ち」や食べ物は身近にある物がふさわしく体にもよくて、酒とか味噌しょうゆは身近に産地される原料や周りの環境で育まれていた、
もちろん牛乳やバターは日本の風土に合うところを見つけ産地されてもいます、
いくら火星でおいしいからって、いくら狭いといっても地球の中の日本、どうでしょうか。

20代の頃、
いくら聖書や資本論を読んで素晴らしいと感じていても、どこか違和感があった、しっくり来なかった、
信じていなくても教養として知識人ぶって、大学の中で羽ぶりをきかせていた教授たちや学生たち、どうしても胡散臭く見えていた、だからどこにいっても孤立無援、でも自分の感覚を信じていました。
だからマルクスが、後に親が事情でプロテスタントに変えたらしく、代々ユダヤ教の環境の中で育ってきていたことを知ったときは、なるほどね、変に納得しました、
そういうこともあってか、マルクスの共産主義はミッション性をともなっていた。

アメリカのキリスト教的資本主義と中国のマルクス主義的共産主義、
ともに19世紀に流行した科学と民主主義を標ぼうしていました、
科学の発展、科学的社会主義
自由民主党、朝鮮民主主義人民共和国、アメリカ合衆国の民主党、中華人民共和国
要らぬおせっかい、教育者ぶった上から目線、が目印です。

徳川時代や戦前の儒教政策にも似たようなところがあって、自分だけで正しいと信じていればいいものの、どうしても他人に強要したがるのがクセで、国教ともなれば大変、国民は強制されて大変でした、とむかしのおじいちゃんたち。

あなた任せの宗教と主義、信じる者だけが救われて、いくら聖人や偉人でも自然から造られた人間、同じ造られた一部の人間なのにすべての人間から賛同されるわけもなく、教科書でなく参考程度にとどめておきましょう。

あるとき、
キリストは神の子で、ブッダと違って人間とは違う、とテレビである欧米人の言葉を聞いてびっくり、
だからこそ、われわれは修行してブッダになったのを偉く感じても、突然私は神の子であると名乗る人をわれわれはハハッと拝めないし、苦労して政治家や商売人、芸術家で成功した人を拍手するのはとても自然でした。

ヨーロッパ・アメリカの中で育まれてきたキリスト教とマルクス主義はどこか似ていて、良いも悪いも特にユダヤ教は自分たちを信じるあまり、迫害された歴史もあり、他者に対して不寛容性であるのは現在のパレスチナ自治区の攻撃にもあらわれていた。

意識的にも無意識的にも、仏教の中で自然に育ってきた多くの日本人には馴染めないものがあります、
激しい不寛容性に疑問を持ち、どうして寛容になれないのかと。

あんなに素晴らしい愛を説きながら、ヨーロッパ・アメリカ人がどんな迫害されても自由や平等をスローガンに勝ちとってきたのに、実権を取ったら、やがて他国に侵略して現地人の自由や平等を抑圧して踏みにぎって、やりたい放題の残虐の仕放題。
国内でも実権にぎったら魔女裁判、赤狩り、粛正のてんこ盛りで、キリストやマルクスのお召し向きといいながら、「権力者」の考えひとつでどうでもなった、
もしキリストやマルクスが反対しようものなら、とっ捕まえて、反省しなさい、さもなくばアンタは死刑、偽物が本物に勝つ逆転の国士無双。

( こんなこと、権力者は平気で言えます、ふんがいしても、卑屈さを分別で補っているほとんどの国民、ゆっくり納得させればいいことでした、本人たちも従順になれるいい訳がほしかった。

中国の反体制運動家やアメリカのアサンジの情報漏洩対応など、
国家転覆しないかぎり、国民は遺憾と知りながら、あるいは無関心で日和見を決めこんでいるのが分別ある大人の対応でした。

こんなことは至るところで見られ、ジャニーズ問題や木原誠二事件、
ことに小池百合子カイロ大学それも堂々と首席卒業と詐称し、アラビア語も話せないのにおっぴらに公表して、信じているのは自分だけで、誰もが嘘だと分かっていました。
おめでとう小池都知事、圧倒的に当選することができました、これも大企業やテレビ局、新聞社の応援のおかげです。
サル芝居しやがって、
でも日本が幸せならばいいんじゃない、ほんと、おもしろい国民だぜ )

国家の体制あっての宗教と国家の政治主義、別に宗教や政治主義が素晴らしいから、国の公認宗教や主義になるわけがない、権力者に都合がいいからそうなっただけ、
クロービス、苦労して天下取り
とはフランク王国をつくるときのクロービスの宗教政策、またここ日本でも、蘇我と物部の仏教採用の権力争いなど大人の事情がともなって、いつも勝ったものが正義なのは政治の世界ばかりではありませんでした。

後は学校教育やプロパガンダでもっともらしく装い、愛と正義に柔和さが込められて、待ちかまえていましたとさ。


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