新プロポ 「日本の基礎知識」 天皇の存在と意味 昨日の日よ、さようなら
昨日までの幼い日よ、さようなら
大人の日々よ、こんにちは
食べて生活していく政治経済と心のあり処について
明治天皇 睦仁(むつひと)
大正天皇 嘉仁(よしひと)
昭和天皇 裕仁(ひろひと)
平成天皇 明仁(あきひと)
令和天皇 徳仁(なるひと)
ボクが小学生のころ、父親に問いました。
「天皇の姓はなんて言うの」
「ないよ、そんなもの」
「江戸時代じゃあるまいし、身分が高いのになぜないの」
さすが子供の親、子供にもわかる明解な答えでした。
「誰でも知っているから、いいんじゃないの」
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日本における天皇の存在、
政治制度としての立憲君主制
一方、日本のことを立憲君主制が歴史的に発展した型を指す用語として、(人民主権下の)議会君主制ともいう。
またこんな人もいる。
“日本が立憲君主制であるという認識は根本的に間違っている。日本国憲法をよく読めば分かるように、天皇は象徴以上でも以下でもない。天皇は国政に関する権能を持たず、形式的にも行政権の長ですらない。そこが「君臨すれども統治せず」と呼ばれる英国などの立憲君主制の国とは根本的に違う点である。英国の君主は形式的には行政権の長なのである。したがって行政権の長ではなく、国政に関する権能を持たない象徴天皇制とは違うのである。また、日本国憲法では「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」とあり、天皇の上に国民を置いている。主権者は天皇ではなく、国民なのである。したがって、日本の政体を厳密に表現すれば、「象徴天皇を持つ立憲民主制」であると定義できる。”
この曖昧模糊とした定義が日本らしくて、はっきりしていないアバウトさが日本の真骨頂、
はっきりしていたら、なーんだ、わからないからもっともらしくてありがたる、
そもそも大和朝廷の創立の年代もわかんないし、初代の天皇の名前も神話伝説のようでも日本人にとってあまり重要ではないようです。
いいんじゃない、いままでそうやって来たんだし、どこの馬の骨かわからなくたって日本人がひとつにまとまれば幸せじゃない、中東アジアとかクルド人は大変よ、そりゃ色々迫害されています。
天皇は日本と日本人のひとつのアイデンティティ、天皇は大変だけど、居るとひとつにまとまるんだよとお父さん。
逆境のなかでもひとつになって、戦後の混乱から立ちなおり、子供のあなたがいたからここまでがんばって来たのよ、というお母さんの思いにも似ていた、
逆境を耐え生き抜いていく人たちには、「希望」という支えがありました。
ただ、いままで天皇が利用され利用した歴史があるだけに心配です、
天皇以外の権力者は、いくら貴族や武家や市民が横暴を極めても、いつかは失脚される運命にあることを日本国民は受け入れて認めてきました、べつに天皇が存在しているからいいんじゃないの、日本が亡びるわけじゃない。
現在みたいに一時期、アメリカ政府が仕切っていたところでいつかは衰退して国外に撤退したら、誰かまた代わりの者たちが現れて日本を仕切ればいいことです、ただ日本そのもの、日本国そのものが崩壊しないように、その時々の日本の最高幹部は緊張して見守る必要がありますね。
( そのアメリカ合衆国にしてもいつまでも覇権し続けるわけもない、たぶん金づるのパトロンのユダヤ人はあっさり見切りをつけてアメリカ合衆国を見捨てるか、また新しい国家団体を見つけ住みつけるのか、でも選民思想の彼らが心の故郷パレスチナに固執した場合はどうするのか、
それにアメリカ合衆国が分裂崩壊したとき、バチカンの法王を頭にいただき、ラテンアメリカはカトリック、北アメリカはプロテスタント諸国に分かれるとか、政治経済のほかに心のあり処は必要ですからね、まあ千年ぐらいはこんな感じかな )
その点では、西アジアのイスラム教国は参考になりました、
多数派のスンニ派、少数派のシーア派。
開祖ムハンマドの死後、正統カリフ時代第4代アリーの父親と預言者ムハンマドの父は兄弟に当たり、預言者はアリーのおじさんです、
アリーの妻は預言者の娘ファーティマで、アル・ハサンとアル・フサインの子供がいました。
子供のアル・フサインは戦闘でなくなった後に、イラン(ペルシア)の国民は残されたフサインの幼い小アリーを慕い、この人の直系を真のイマーム(教主)として、イラン(ペルシア)の王統としました。
なぜなら小アリーの母親、つまりフサインの妻はササン朝ペルシア最後の王ヤズディギルド三世の娘だったからです、
小アリーを支持する党派、党派をシーアといい、この小アリーを支持する党派を別名シーア派と呼んでいます。
それゆえ現在もシーア派はイラン(ペルシア)を中心に、イスラム教徒の1割強ないし2割弱を占めています。
コーランや預言者ムハンマドのスンナ(言行)を忠実に守り、正統派といわれるスンニ派と、
ムハンマドの血縁を重んじるシーア派。
また東アジアには仏教徒が多く、中国では王朝交代を易性革命で正当化し、
日本では王朝交代の他に、ご存知のように別に天皇制が存在していました。
選民思想の心の故郷に誘うユダヤ人、開祖ムハンマドとイラン(ペルシア)の血縁を求めるシーア派、それに日本民族の心のあり処の天皇制。
このように食べて生きていく政治経済の他に、心のあり処がありました、
なんだか人間は食べていくだけじゃ満足に生きていけない、心の支えとかまた芸術娯楽が必要なんでしょう、愛もね。
ただ日本国民はユダヤ人とイラン(ペルシア)と違って、宗教に取り込まれなかった、時の為政者たちが古代の神道や仏教それにキリスト教を取り入れても、国民は儀式や祭りごととして割り切っていました。他国から、教養人から節操もない宗教感だとやじられても、意識的に無意識的にか宗教を尊重しながらも、包みこむ大らかな寛容さがありました。
たとえば神社で御守りを買ったのに成果が出なかったから弁償しろとはいわないし、まあこんなもんだろうといい、また誤って神フダを踏んでも、あっしまった、いけねえと感じても、じゃ踏んでみろといわれたら、バチがあたるぞといい返します。
なんだか宗教を盾にとって、争いを好まないみたい。キリスト教の一神教が支配する前のギリシア神話に出てくるような、中国の道教のようにさまざまな神がいて「多神教」の明るさがありました。
それゆえに近代欧米人発祥の資本主義オンリーや共産主義オンリーで、いくら商売で成功したからって極端な金儲けの資産家や、いくら優れた人でも独裁者にはとても同調できません。
中国いにしえの『春秋左氏伝』の「甚だ美なるは必ず甚だ悪なる有り」をもじって、後の北宋の詩人梅堯臣が「甚だ美なるは悪も亦た称う」と歌ったように、現在でも多少は言い変えて、はなはだしいお金と権力は悪もまた同様に伴ってくるだろう、犠牲者がついてきます。美人と同じで、お金と権力の誘惑にはとても弱いから、気をつけて。
そんな偏ったものを嫌い、
常に自由と平等のバランスをおのずから身につけて、欧米の自由資本主義を取り入れながら、体はちゃっかり公務員志向におもねって、共産主義に反対しながら、できることならば官僚ばかりでなく学校教育も国立で、大学、放送、公共事業、伝統工芸などに仕えたがって、米国ではあり得ない国民健康保険も当たり前のように貰っていました。そんなことがいたるところで、日本の国民性となんら矛盾することもなく垣間見られていました。
それにまたいっぽうで、
恐れるものがいなければ、神がいなければ何をしても許されるのか、一度は政治に突きつけられる問題も発生します。
現在の国際社会のさまざまな国内政治事情を見るにつけ考えさられ、ドストエフスキーの小説とか、欧米の他国への残虐な植民地主義や、共産主義国の国内統治の横暴性など他人事ではありません。
むかしから精神と政治上での神について、さまざまな意見ありました。
神は死んだ(ニーチェ)、もし神がいるなら殺してしまえ(バクーニン)、もし神がいなければ作る必要がある(ヴォルテール)。
戦争に負けたのでヒトラーのアウシュヴィッツ収容所は弾劾され、戦争に勝ったのでトルーマンの原子爆弾の大虐殺は正当化され、いまもなお中国体制が存続しているので毛沢東による大失策の国民の悲惨な死亡の群れは黙認されて、それにまた正義と民主主義の味方を標ぼうし、いいときばかりの調子がいいアメリカ合衆国の支援を受け、ユダヤ人国家のイスラエルによって、原住民のパレスチナ人に対する大虐殺のホロコーストが行われています。
さすがアメリカ合衆国、兄弟分で世界大戦以前のイギリスのやり方によく似ていて「本音」と「建て前」を上手に使い分けて、恥ずかしくもなくイギリスは紳士の国とか、米英とも平気で紳士のスポーツとかフェアプレイ精神に従って、とかいうのがとてもお好きなのに、いざとなったら自分の保身をはかったり、お金の計算をなさっております、なんだか知らないうちに日本にも浸透しつつありますね。
ただ堂々とやるイギリスを反省して、現代のアメリカ合衆国はパレスチナやウクライナ戦を見るとわかるように裏に回り、武器を渡し、宣伝や情報を操っています。
そんな、いくら強い者が好きだといって子供大衆みたいな今どきの日本、米英に意味もなく追随してはしゃぎまわって、
いくら激しい現実の前に理想は崩れ、現実と理想の乖離に悩むことがあっても、初めから建て前と本音を切り離して打算的利益を求めることはなかった、いやしくも偉人と言われる人にはありませんでした、不誠実を嫌がりました。
昨今では国会議員や知事が作為的で嘘っぱちを言ってのしあがり、部下に辛く当たることも当たり前だし、スポーツや芸能、マスコミ各社と一般国民の中にも、元来日本人が持っていた徳と誠実さが失われつつあります。
まず文化社会芸術の内容よりも、先にフォロワーとか金儲けのためのマーケティングばかり志向して、国民のことを考える前にどうやったら権力と社会的地位を得られるか、そんなことばかり、いっけん楽しそうでも豊かで幸せになれそうにもありません、なんだか物も人間も薄利多売的で刹那すぎます。本末転倒でした。
余談ですけど
ナセルのクーデタによって王位を追われる4年前(1948年)、エジプト最後の王となったファルーク1世(Farouk Ⅰ)の言葉です。
最後まで生き残る王は誰か、と聞かれて
「世界中が騒乱の中にある、いずれこの世には5人の王しか残らなくなるだろう。イングランドの王、スペードの王、クラブの王、ハートの王、そしてダイヤの王」
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天皇を考えることは、日本と日本人とは何かを考える一歩です。
辞典、事典を引くと何ごとか定義が出てくるでしょう、けれども定義は日本人の数ほどあり、定義が出て来るまでにさまざまな「問題」や「謎」が現れ、思考段階が訪れてきます、これが一番の正解の総意があってもすべて納得するものではなく、個人の中だけに存在し、答えを出すこと自体は意味がありません。
天皇とは何かは私であり、私の才能の限界を表し、私の思考力を示しているだろう。
一応のじぶん自身の定義を出すまでの「過程」が大切であり、答えは通過点みたいなものです、一個人として天皇の存在とか意味を考えることは、私の思考力を高めてくれました。
日本人の誰もが思い浮かんでこなければ、当然誰にも浮かんでこない、でも日本のどこかで誰かひとり、ぽうっと思いが浮かんだら、不思議なことに同じ思いが誰かひとりに浮かぶ現象があります、
日本のどこかで、同じ意見を持っている人がいるだろうか。
「天皇とは何か」
「居るだけ」