死を待つ人の家でボランティア
乾季には珍しくコルカタに雨が降った日、マザーハウスの「死を待つ人の家」でボランティアをした。
日本でも特別老人ホームなどでボランティアはできるが、マザー・テレサの精神に触れてみたいというのが自分なりに整理した理由である。
朝7:00過ぎにマザーハウスに行って軽食を食べ、7:30に聖書の一説の音読と聖歌。それからシスターから説明がある。
5つある施設のうち、ニルマル・ヒルダイ(死を待つ人の家)を選択し、バスでカリガートに移動する。
入口で再び聖書の音読と聖歌。そして私は女性部屋へ。
サリーを着てテーブルに並べられた椅子に座っている40人ほどのおばあさんたち(うち9割が自分で立つことはできない)と対面。
奥には番号のついた48個のベッド。起き上がれないおばあさんは何人かそこで寝ている。
おばあさんたちの深紅のサリーや、ベッドの赤もしくは青の花柄のシーツで、想像していたより雰囲気はカラフル。
そしてきちんと清められていて、おばあさんたちの髪は短めに綺麗に整えられて肌もこざっぱりとして、全体的に思っていたより清潔である。
すでに何度も通っている(長い人は1年以上)他のボランティアたちが「元気?」とか「今日は調子が良さそうね」と挨拶する。
ボランティア(イタリア人、中国人、アメリカ人、日本人等)の大体が英語だが、おばあさんたちはもちろんヒンドゥー語しかわからない。それでも意味は伝わっている。
私は、とあるおばあさんから、お手洗いに行きたいと(多分)言われたことからボランティアが始まった。
ヒンドゥー語なので全く分からないが、ジェスチャーで何とかそれを察する。最初から難易度が高い。
他のボランティアに聞いて、お手洗い用に座面に穴が開いた車椅子を持ってきて、抱っこしてそこに乗せて明るい色合いのベッドの間を通ってお手洗いに連れて行く。
個室もあるが、並んだドアの前の床がもうトイレであり、床に排泄物が落とされる。
用が済んだらビデ用の洗い流すための水(インドではトイレットペーパーよりこちらが主流)を桶に汲んで手渡し、排泄物を水とモップを使って床掃除の要領で綺麗にし、また車椅子を押してテーブルに戻る。
次にずっと泣いているおばあさんを慰める。ヒンドゥー語は分からないがジェスチャーを見ていると、どうも過去に嫌なことをされたことを思い出して悲しくなっているらしい。
ゆっくりと右手をさすり、肩をさすり、背中をさする。
そうこうしているうちにおやつの時間。おばあさんたちにビスケットが配られる。
次は子ども用のおもちゃで遊ぶ。七色の鉄琴が一番人気でポロロンポロロンとあちこちから音がする。塗り絵をしている人もいるし、ボードゲームをしている人もいる。もう意識が混濁としていて何もせずぼんやりとしている人もいる。
備品棚にマニキュアがあったので、ネイルが剥げかけているおばあさんの爪に塗った。
メイベリンの赤い液体はもう無くなりかけており、ドロドロしてなかなかスッと伸びない。慎重に一本一本塗っていく。
ここが剥げているから塗り直して、とか、ここにムラがある、とか、なんとなくジェスチャーでそれぞれのオーダーも察して対応する。
おばあさんの一人がどうしてもマニキュアを持ちたがり、それを使って自分で左手の甲に十字架を描いたのには驚いた。だが、爪ではないところに塗ったので先輩ボランティアに怒られてしまった。
また、手に天然のココナッツオイルをつけておばあさんの髪に優しく塗り、頭皮をマッサージ。ゆっくり丁寧に指を動かしていく。気持ちが良いのかおばあさんは左の頬に両手を重ねてあててうっとりと目を閉じている。
おばあさん二人からユーモアたっぷりの投げキスを受けてその応酬をした後、ベッドエリアでガーゼを畳むお手伝い。500枚の薄いガーゼを一枚一枚折り畳んでいく。
ふと顔を上げると、髪の上半分を剃り上げ、頭皮に大きな真っ赤な傷があるおばあさんの頭のガーゼをシスターが交換している。
10:30にボランティアはチャイとビスケットで小休憩。それから戻ってお昼ご飯の配膳。もちろんカレー。
大半のおばあさんたちは右手を使って器用に食べていく。食べているつもりでこぼしてしまっているおばあさんや、うわの空のおばあさん、虚ろな目をして動かないおばあさんには、ボランティアがスプーンで食べさせる。
食事が終わった人からお手洗い用の椅子に乗せてトイレに連れていく。その後はそれぞれのベッドに行って昼寝だ。
おもちゃで遊び、お昼を食べて昼寝をして、なんだか3歳の息子の生活に似ている。
年をとっていくほど、どんどん子どもに還っていくのか。
寝たくないと駄々を捏ねたり、人のベッドから動きたくないと叫んだり、眠りにつくまでひと騒動ある。
昨夜1名亡くなって、今夜火葬をするらしい。ドランクジャンキーだったおばあさんと聞く。
表には、救急病院の手術を終えてやってきた新しい入居者が運ばれてきていた。
ここでボランティアは解散。
何だか胸がいっぱいになってしまい、帰りのバスで思考を整理する。
言葉が通じなくても、意識が混濁している相手でも、愛情を持って接すると伝わる。
こちらも、例えば排泄の処理でさえ、自分の子どもだったら苦とも思わないのだ。愛情があるから。
あの場の穏やかな雰囲気と、亡くなる前の極限状態に置かれたおばあさんたちの落ち着いた表情に現れているものはそれだ。
今回は信念を持って生涯それを続けてきたマザー・テレサの深い愛情を体験させていただいたのだ。
まず家族、それから地域や友人や周りの人や、世界に、改めて愛を持って接しようと思う。