ガンジス河の火葬場
翌朝6時15分、ルドラを出発。私の好きな、肌寒くて薄暗い朝の気配。ユニクロのウルトラダウンジャケットを羽織り、牛の糞を踏まないように気をつけながら歩く。昨夜は全く気がつかなかったが、ルドラから歩いて1分でもうガンジス河だった。とうとう来た、としみじみと思う。想像していたより太い河で、遠く対岸に砂浜が広がっている。ガート(沐浴場)に降りていくと、すでにインド人でいっぱいで大騒ぎである。おじさんたちはみな一様に体格が良く、足が長い人が多い。腰にタオル一丁で、恐らく相当冷たいであろうガンジス河に真剣な顔をして入っていく。おじいさんたちには極端に痩せた人もちらほらいる。女性はサリーを着たまま入っている。それぞれ何やら一心不乱に唱えながら、祈ったり、頭まで浸かったり、自分の身体にばしゃばしゃ河の水をかけたり。これが聖なる沐浴なのか。単なるお清めとは異なる真剣さだ。
8人ほどが手に手に思い思いの楽器を持ちながら、「オー♪ナマ♪シーヴァー♪」とアップテンポに歌っている。マントラの「オーム・ナマ・シヴァーヤ」(シヴァ神に敬意を表します、私の内なる神を信じます等)の陽気版だろう。この場にちょうど良いBGM。同じ旋律でずっとこれを繰り返すだけなのですぐに覚えられる。
マリーゴールドの濃いオレンジと、赤・白の花を売る露店が、女性たちの色とりどりのサリーと相まって目に鮮やかだ。
舟に乗り込むと、船頭のおじいさんがゆっくりとオールを漕ぎ始める。川面に大きなオレンジ色の朝日が溶けている。水の上から見ると、ガンジス河沿いにびっしりと色も形も様々な石造りの建物が並んでいることが分かる。三角屋根だったり太い円柱型だったり、装飾が凝っているものもあり、傾いているものもあり、青に塗られたりピンクに塗られたり、シヴァやガネーシャが描かれた巨大な絵を持つ壁もある。バラナシのガート(沐浴場)は84。それぞれのガートには河に繋がる石の階段があり、めいめい飾られたり、バラモンが座る台座があることが分かる。
舟はゆっくりと下流に向かう。大勢の観光客が乗り込んだモーターボートがいくつも行き交う中、こちらの木製の舟の客は私ともう一人の日本人のみ、防寒に頬かむりをした白髪のおじいさんの手漕ぎでゆっくりゆっくりと進んで行く。このリズムが何とも味わい深い。
ふいに、木材を満載に乗せた船が多く行き交うようになる。ガートにも丸太が積まれており、中央には木が山型に積まれて火がついて勢いよく燃えている。
ああ、これがマニカルニカー・ガート。火葬場だ。このガートだけは集っているインド人の顔がシリアスだ。亡くなった方の親族と、火葬に携わるカースト制度に入ってすらいない不可触民たち。24時間火が絶やされることなく今日まで約3,000年。生を全うしたと見なされると、遺体を焼いてもらえる。その遺灰をガンジス河に撒けば、解脱が可能になると信じられている。他方で、事故や自殺が死因であったり、死んだのが子どもや若いうちだったりすると、遺体は焼いてもらえず石をつけてそのままガンジス河に沈められる。
※「バラナシ 火葬場」で検索すると実際に燃やされたり沈められたりする人の画像が出てきます。かなり衝撃が強いので閲覧する場合はご注意ください。
日常生活で死を特殊なものとする日本社会では、死体を見る機会がほとんどない。お葬式でご遺体を目にしても、その後に目にするのは焼かれた後の骨と灰だ。
バラナシでは、死も日常であり、自然に還っていく様もありありと剥き出しにされている。
そしてそれは、12年前にイランのヤズドで見たゾロアスター教の風葬の跡(沈黙の塔と呼ばれる砂漠の山の上に遺体を置き、鳥に啄(ついば)ませて弔う)で感じたものよりも、もっとあからさまだ。
自分もいつか死ぬ。死んだらただの可燃性の物質になる。私の大事な人たちもいつか死ぬ。その中に私より先に死ぬ人も確実にいる。
心の内がしんとする。
驚くのは、遺灰が流される火葬場のすぐ下流、それも20メートルくらいしか離れていないところで沐浴をしている人がいることだ。洗濯をしている人までいる。
生と死が剥き出しの世界の、その親密さに呆気にとられる。
ベンガル・トラ通りに戻った後、花に埋め尽くされ何人もに担がれて、細いくねくね道をマニカルニカー・ガートの方向に運ばれて行く皺々のお年寄りの遺体とすれ違う。
痩せて骨と皮だけになっているが、その表情には満足感があるように思えてならなかった。