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【インド】歓喜のクンブ・メーラ沐浴と魂との対峙
サドゥたちが行進して沐浴している傍で、インド人たちも一斉に沐浴している。
この日の人出はなんと1,000万人!
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みな喜びに心が打ち震えている。同時に寒さで身体も震えている…。早朝で水も相当冷たいだろうに、そしてバラナシから120km上流のプラヤグラージでも水質は正直そこまできれいなようにも見えないのに、どうして頭のてっぺんまで川の水に浸かれるのだろう。それも、勇気を出してというより、喜び勇んで。
沐浴が終わったら嬉しくて踊り出す人たちさえいる。
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同行の賢者ショビットによると、日本の初詣のように自分や家族の健康や幸せを祈るようなヒンドゥー教のイベントも他に存在するらしい。
しかし、クンブ・メーラは違う。
ここでの沐浴は、一人ひとりが自分だけの魂と向き合う非常に尊い儀式だ。
そう教えてくれた賢者ショビットは頭までしっかり沐浴し、川から上がったときは体温で水が水蒸気となってオーラのように出ており、「新鮮な気持ち」だと感想を述べた表情は充実感でいっぱいだった。
自分の魂との対峙とは、簡単そうで難しい。よりシンプルに考えてみる。
自分は、前世は違う人間、もしかしたら人間ですらないかもしれず、すでに何度も輪廻転生を繰り返しているかもしれない。一方、もしかしたら今生で解脱(げだつ)できるかもしれない。それは自分の魂との向き合い方次第。
解脱とは、苦しみや悩みから解放されて魂が自由になること。
苦しみや悩みは、煩悩つまり欲や執着から来る。
自分は、欲に振り回されていないか。
気づかないうちに何かに執着していないか。
そもそも自分の心そのものは、何を望んでいるのか。
それらの自分なりの点検が、魂との対峙と言えるかもしれない。
ヒンドゥー教の行為で重要とされているものは、浄なるものを取り入れて、不浄なるものを避けることである。
不浄なるものを避ける、罪を洗い流すことができる、という最大の象徴が物理的な沐浴になる。
自己認識を妨げていた不浄を取り除くタイミングで魂と向き合っていくのであれば、それは何となく一気通貫しているように感じる。
(他方、ヒンドゥー教でもう一つ重視されているのは、行動の重視。行動の結果ではなく、行動そのものを重視すること。成すべき行動において感情の奴隷にならないこと。こちらは解釈がとても難しく、やるべきことを言い訳せずにやるという教えとしてはよいが、背景として社会を治めるために生まれながらに職業が決まっているカースト制度と密接に結びついているように個人的には思うので、いったん取り上げない。)
聖なる日に沐浴することはより尊い、というのはどう捉えたらいいだろうか。
日時と場といった装置の設定が明確になされることで、通常の沐浴つまり日常的な魂との対話に比べて気分が高揚し、副次的により自己との対話が深まる、という意味かもしれない。
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私も沐浴してみる。以前上流のリシュケシュではガンジス川に頭まで浸かれたが、今回は水質と寒さに怯え、膝まで浸かるに留まった。それでもサウナの水風呂より冷たく、皮膚が凍るような思いがした。
ただ、川から出て少しすっきりとした身体感覚で、色々と考えた。
自分の魂は、欲に支配されていないか。あれがほしい、こうしたい、そうなりたい、そんなことで一杯になっていないか。
この社会で一見うまくやることや、消費行動や、他人と比べた優越感に、自分は執着していないか。
そもそも、こう見られたくない、こう思われたくない、面倒だからこれしたくない、というエゴが、意識の底に沈殿していないか。
……大変だ、思い当たることがたくさんある。
ただ、これらが自分の苦しみを生み出しているのであれば、自分の魂のために、これらと折り合いをつけた方がいいだろう。いや、折り合いをつけたい。
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この日は疲労困憊、1日に25km歩いていた。人生で最も早く起き、人生で最も疲れた日だった。
にも関わらず、何だか得も言われぬ充実感が身体じゅうを満たしていた。
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