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勉強の哲学3

 無限に広がった比較検討の中断は本当に難しい。広がった検討の世界は、広がる過程においてある種の根拠を包摂してしまっている。根拠を包摂した検討事項は、それ相応に自分の中に強度と安心があり、それを中断するのは難しい。なのでどんな理由であれ決断しろ、理由は問わないと励まされた方が安心する。そのような推奨の仕方をしている書物も多い。が、勉強の哲学ではそれにアンチの立場だ。

 比較しているものを留保しつつ中断する構え。私は韓国籍のいわゆる在日韓国人だ。日本、韓国に文字通り引き裂かれ、思考が引き裂かれ、生活が引き裂かれている。というと大袈裟であり、大袈裟じゃない。そういう思考を抱えながら生活していると、どっちかに無理やり決断しないといけない場面がたまにある。サッカーの日韓戦どっち応援する?みたいな。どっちも無理、留保みたいな視点がほぼデフォルトになっている。留保というのは説明責任を果たせないことも多い。

 ただ人生において親の留保が、すごい人生の好転をもたらすみたいな場面をみたことがある。留保を意識したのか無意識なのかわからんけど、ここ決断しないのか!と驚愕する留保を見て、ある事態がなんとかなっていく様を見て、決断できないということは凄いなと思うなどした。決断すべきタイミングで決断できないことを褒める思想はあんまりない気がしてる。

 本からは少し離れた気もするが、まあよし。写真は生成aiの画像。

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