連続投稿休んでみた。noteとコンタクトは同じくらいの大切さだった
9月22日から、note100日連続投稿にチャレンジ中。昨日更新を休んでみた。というかふつうに書けなかっただけ。
いきなり余談だが、私はちょっと失敗すると無理やり「やってみた系」にする癖がある。太ったときもそうだった。人生ネタにしたもん勝ちである。
さて、noteをなんとか毎日更新(つぶやきのみの日もあったが)していた私は、1日投稿をしなかったことであることに気づいた。
書いていないことが頭の片隅にずっとあって、「note書いてねえー」と1日中気持ち悪かったのだ。
noteを書くことが習慣になった証拠だ。
連続投稿が途絶えたくせに、それに気づいた瞬間、なぞの達成感をおぼえた。
でも、歯磨きほど重要な習慣ではまだない。歯磨きレベルだったらもっと気持ち悪いはずだ。
noteの「習慣化レベル」をじっくりと計測したところ、コンタクトと同程度という結論に至った。
コンタクトは私にとって、毎日使うものだが、なくてもいい(メガネがあるし)。コンタクトを外し忘れて寝ると気持ち悪くて後悔する。(後悔どころか痛い人もいるよね、私平気なの)
noteを書くと毎日が豊かになるが、正直書かなくても死にはしない。私の連続投稿が途絶えたところで世界は変わらん、なんなら誰も気づかない。でも、書き忘れると人知れず気持ち悪くて後悔する。
この感じがコンタクトを外さずに寝落ちしたときと同じ感覚だった。
だからなに?って感じだが、これがnoteを書かないことで気づいたこと。もっともっとnoteを書きつづけて、「習慣化レベル」を歯磨きランクまで持っていきたいところだ。
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