憲法無効論は天皇、そして国体を軽んじる妄説
産経新聞のコラム「視線」で社会部次長の酒井孝太郎記者が「八月革命説」について書いています。
「いびつな成立過程をたどった新憲法にとって、8月革命という"虚構の物語"が必要だったのは想像に難くない。米国の『押しつけ」というタブーを覆い隠さなければならないからだ。やがて、新憲法の意義を積極的に説明できる唯一の法理として学会の通説となり、司法試験や公務員試験、教員採用試験などにも東大憲法学が浸透、戦後日本の価値観を決定付けるに至った。戦前の全否定、自虐史観、伝統や文化の軽視、肥大化した人権思想、空想平和主義・・・。思考停止する魔物たちの楽園が難くない。米国の『押しつけ」というタブーを覆い隠さなければならないからだ。やがて、新憲法の意義を積極的に説明できる唯一の法理として学会の通説となり、司法試験や公務員試験、教員採用試験などにも東大憲法学が浸透、戦後日本の価値観を決定付けるに至った。戦前の全否定、自虐史観、伝統や文化の軽視、肥大化した人権思想、空想平和主義・・・。思考停止する魔物たちの楽が現れ、毒が撒き散らされた」 此のとおりである。
戦後における価値の転倒と弛緩は、八月革命という虚構の物語によって生まれたといってよい。無効論をとる皆様、敵を見誤る勿れ、八月革命説というのは、無効論を基礎にし、帝国憲法の改正による≪国体の護持≫≪歴史の連続≫≪民族の矜恃≫≪先人の願望≫といったものを断ち切ってしまった。それを打ち倒し、戦後の価値観を一変させることこそが憲法保守の使命ではないのか。
無効説が何を産むのかよく考えてみるがいい。
日本国憲法が無効だというのは爽快かも知れない。しかし、そのあとになにが残る。原理原則という勇ましい屁理屈だけではないか。日本国憲法を産むために民族が陛下とともに「耐え難きを耐え、忍び難きを忍」んだのは、「国体護持」という物語を達成するという目的があったからではなかったのか。無効説は、その葛藤と涙を≪無効≫の闇へと引き込んでしまう。いわば歴史のブラックホールだ。
歴史には光と影がある。恥辱の影を消してしまいためという気持ちはわかるが、無効説は、恥辱の影とともに誇りの光まで消却してしまうのだ。
無効論は「国体の護持」という昭和天皇と日本人とが辛くも守りぬいた物語を台無しにする。「無効」という無味乾燥の一言をもって。それは八月革命説のネガである。
はっきりいおう。帝国憲法はもう死んだのだ。昭和天皇が新憲法の裁可をしたとき帝国憲法は命を失った。清水澄枢密院議長の入水とともに死んだのだ。帝国憲法に代わって生まれた日本国憲法を無効だと切ったすてたあとに何がある。帝国憲法の亡骸があるだけだ。動かそうとしても動かない。
かろうじて動けば、それはゾンビだ。 その魂は、日本国憲法のなかに封印されている。日本国憲法のなかに生きている帝国憲法の魂をとりだし、歴史と国体と民族の連続性と同一性をしろしめすことこそが私たちの役割ではないのか。
(H29/8/14)