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講演記録(令和2年11月14日)

平成11年8月、当時の首相小泉純一郎、終戦記念日に靖国神社に参拝するとしていた公約を、2日前倒しして、靖国神社を参拝した後、これを政教分離に違反するなどとして批判する人たちが、裁判の構想をぶち上げ、ネットで参加者を募り、全国7か所の裁判所で、合計2000人を超える原告らが、国、小泉首相とともに、靖国神社を被告にした事件がありました。多数の在韓韓国人が原告に名を連ね、従軍慰安婦や強制連行といった植民地時代の清算が終わっていないにもかかわらず、首相が靖国神社に参拝して戦争を賛美するようなことをしている日本という国は、先の戦争を全く反省していないなどとし、差止と損害賠償を求めて提訴したという事件がありました。
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靖国神社まで被告にして裁判をするのは何事だということで多くの遺族の方がお怒りになり、そしてその(靖国神社と英霊を大切にする)想いをどのようにしたら司法の場に伝えることができるかという相談をされてきました。    
                         
補助参加という、専門的な方法があり、靖国神社を守るためにその裁判に合法的に参加する方法を取りました。そのときに一緒に担当された弁護士さんが、稲田朋美元防衛大臣であったわけです。 

そして最終的には、最高裁が判決で、「(人が)神社に参拝する行為は、誰がお参りしようが、そのことによって誰かの人権を侵害するものではない。(これによって自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である)」とし、「このことは、内閣総理大臣の地位にある者が靖国神社を参拝した場合においても異なるものではない」という核心的な判決をいただいて、めでたく(靖国神社側が)勝訴したのでした(最高裁第2小法廷平成18年6月23日)。     
            
ところが、第二次安倍政権が発足した平成23年の12月26日のことでした。安倍総理が第一次内閣のときには参拝できかった靖国神社に参拝しました。その後、やはり同様の裁判が大阪と東京で提訴されました。

このときも、靖国応援団を立ち上げて補助参加を決行したわけなのですが、その時、原告になって出てきたのは靖国神社に敵対する日本人と、韓国在住の韓国人、中国在住の中国人でした。それと見逃せなかったのは、台湾在住の台湾人の方々が多数原告になって裁判を起こしたことでした。

そのことを、第一次の裁判のときに知り合いになった台湾の方に相談させていただいたら、その方が中心になって、台湾にいる台湾人の中には、多くの方が自分たちは今でも日本人だと思っている人がたくさんいるのだ。彼らの心の支えになっているのは、天皇陛下がおられるということ。そしてもうひとつは、靖国神社があるということでした。御英霊の中には、台湾人、台湾出身の日本兵の方々が沢山英霊としてお祀りされており、そのことを誇りに思っているということでした。その靖国神社が攻撃されている、攻撃するものの中に台湾人がいる。台湾人とは言っても中華人民共和国の人民だと思っている人たちなのだろうが、(台湾人が)そんなふうに日本人に思われてはかなわないということで応援していただいた。なんと、1000名を超える大量の台湾人の方々から委任状をいただいた。結果として、原告の台湾人の数よりも、そうやって補助参加して靖国神社の味方として裁判に参加された方の方が多いという結果になりました。このことは後ほど靖国神社の関係者の方から随分と感謝され、この方々の名簿は今も靖国神社の境内の中にお祀りされています。

そんなことがあったわけですが、沖縄における「摩文仁の丘」のことは皆さんご承知のことだと思います。苛烈を極めた、地上戦が展開された沖縄において戦死された御英霊の御霊(みたま)がそこで、出身地毎にモニュメント、記念碑が建てられ、そこにお参りされる人が絶えないわけなのですが、韓国出身の韓国人兵の記念碑があります。もちろん韓国出身の方で日本人として戦って命を落とされた方々の記念碑があるのは当然のことなのですが、実は長い間、台湾出身の御英霊のモニュメントがなかったんです。それが平成28年にできました。韓国のものと比べると小さなものですけれどもしかし、平成28年にようやくそれができた。

そして平成30年に李登輝元総統から揮毫(きごう)を頂きました。その揮毫は『為国作見證(いこくさけんしょう)』。 国のために。為は「ために」、国は「国」、作は「作業」、その下の「見」という字の下に言偏に登ると書いて「證」。これは日本語で言う顕彰と同じことです。だから、国のために戦った御英霊を顕彰することということを、この文字の揮毫にこめて李登輝元総統から頂戴し、昨年、令和元年の6月に沢山の台湾の方々が来られて一緒にお参りをさせていただいたわけなのです。

その折に私はある話を聞かされました。その方は当時97歳で矍鑠(かくしゃく)としておられて、とてもその、90を超えた方には思えなかったんですけども、自分は日本人として生まれた。日本人の母親、日本人の父親。もちろん、台湾の部族のご出身なのですが、日本人の父、日本の国籍を持った母のもと、日本人として生まれた。日本語を家の中でも話して育った、子供の頃も日本の小学校に通い、大きくなって軍属となり、シンガポールに派遣され、そこで日本軍の兵站を担って、軍のためと思って頑張った。しかし、日本は負けた。負けるのはしょうがないにしても、台湾に戻ってきたら、もうあなたは日本人じゃない、中国人なのだといわれたと。     
           
その当時、蒋介石が大陸から追われて台湾にきた国民党政権が中国の正統な政権だといっていたのでした。そのあと、いわゆる「白色テロ」と言われた「戒厳令」が敷かれ、蒋介石に対する敵性分子は徹底的に弾圧されたわけですね。もとの敵性分子って何かというと、一つは共産主義者、もうひとつは親日家と言うことです。当時のインテリ、台湾におけるお医者さん、弁護士あるいは大学の博士、教職員と言った方々は、皆弾圧された。逮捕された。敵性分子とみなされた、そして日本兵。元日本兵も当然敵性分子とみなされたわけですけれども、実は 国民党軍、蒋介石が頼りにしたのは元日本兵。逮捕した元日本兵を、中国の内陸の失地、最前線の戦いに元日本兵を送って戦わせたわけです。その中には、戦いの中で亡くなられた方もあった。しかし、捕虜になった方もあった。そして中国共産党の人民解放軍の捕虜になった方はどうなるか。人民解放軍の兵士となったのです。朝鮮戦争のときに、北朝鮮が中国に追い詰められた時期がありました。アメリカ軍を中心とする国連軍によって追い詰められたときに中国国境から雪崩(なだれ)のように、雲霞(うんか)のように中国兵が攻めてきて、アメリカ軍を撤退させたということがあったのですが、実はその最前線に立たされて戦っていたのは元日本兵の方々だったっていうことでした。その中で生き残った方もおられ、そして多くの方は亡くなっておられる。そのことをご存じの方で、そういうことを聞かされました。ああ、なんと数奇な運命だったことか。

その方は楊馥成さんといいます。日本名は、大井 滿さんというふうに言われて、自分のことは大井 滿と呼んでくれということを言われるんですけれども、今97歳、もう98歳になっておられます。98歳のときに裁判を提訴しました。私はずっと日本人として生きてきたんだと。自分の心の支えになったのは自分が日本人だということなんだと。そのことを最後にはっきりさせてから死にたい、自分は日本人として生まれ日本人として戦い、日本人として死んでいきたいんだというふうに言われました。そのための裁判をやるんだってことになり、その後去年(令和元年)の10月に裁判を提訴し、東京地裁で審理が続けられております。今、こういう時期で、コロナの問題があって、楊さんを含めて、なかなか(日本に)来ることができないということで延び延びになっているんですが、そういう裁判が今、実際に係属して審理中だということについては皆さんに知っておいていただきたいと思います。
                           
ひとつ、初歩的なことを簡単に申し上げると、(台湾人の)国籍の問題については、サンフランシスコ平和条約で、一応話し合われています。韓国の人たち、朝鮮半島の人たちについては、主権は韓国にあるんだということが確認されています。「領土」だけじゃなくて、対人主権という「人」に対する主権も韓国にあるんだと確認されています。しかしながら、台湾については、当時、国連の中で中華人民共和国と蒋介石の中華民国とが争っている状況なので、どっちかに決められない。そこで、日本はどうしたかって言うと、「主権を放棄する」としただけでした。放棄した主権が、どこに帰属するかということは、サンフランシスコ平和条約には、何も書いてないんです。じゃあ、彼らはどうして日本の国籍を失ったのか。実は、法律もない。日本の法律もない。単なる入国管理局の通達があるだけです。国籍の剥奪という扱いをする上で、法的な根拠は一切ないのです。
(世界人権宣言は、本人の同意がない国籍の剥奪を認めません。国際法は無国籍者を認めません。だから、領土の放棄はあっても対人主権の放棄はありえません。彼らの国籍は日本国籍のままなのです。)    

「人権」という言葉は、ご承知と思いますが、国連の『世界人権宣言』には、「国籍については本人の同意なしに剥奪することはできない」ということが明記されている。現実的にはすべての人権は、国籍によって守られるんだということを、国々によって守られるということを国連は認めているわけですが、それに照らしても彼らが、元日本人の国籍が自分たちの意思に合わず奪われたということを申し上げたい。 

そしてもうひとつ。日本と朝鮮、韓国との間では、いわゆる請求権協定、日韓基本条約と付随して成立した政府間協定によって一応、恩給も含めた遺族年金、そういった事も含めた政府間の交渉が成されています。それで十分なのかどうなかは、別の問題ですが、そのことについて、一応法的な決着はついています。しかしながら台湾人については、そうした交渉はなんにも成されていないわけです。中華民国と交渉したら中華人民共和国が文句いってくる。かといって、中華人民共和国とそういう話できるかといえばできない。

見舞金として政府から200万円配るという話が出たことはあったのですが、そのことについても、中国からは、自分たちの人民に対する主権侵害だといって抗議してくる、そういう状況がずっと長い間あったわけで、台湾の関係については法的な問題についてはほとんど何も解決されていない。そしてそれは、今回アメリカの政権交代ということがありそうですけど、コロナのことも、今、何が一番明確になっていたかと言ったら中国をめぐる国際関係の変化です。ここが随分変わったことが明確になりつつある。だから、台湾の人たちの人権の問題について、国籍の問題についても含め、日本政府が日本の考え方を実現していくことができるんじゃないかというふうに、思われるような状態となってきている。そうなった、と私は、思っている。そしてこれはたしかに、さきほど宮司さんのお言葉にもありましたが、お祀りの参列者が増えてきているということ。この「戦後」という、幸せであり、不幸であり、表現難しいんですけどもその時代、それが、ある意味、御英霊が苔生す屍から、さざれ石になっていかれたというふうにも考えられる。そして、御英霊をお祀りする意志は私達生きている日本人と日本に対する思いを持って、まさに御英霊のおかげで国体が護持されて、戦争が終わり、そして天皇を憧れの中心とする国体という意味における新しい憲法のもとで、私達が生きていく、それはみな、御英霊のおかげなのだということ(を心に刻み)。李登輝さんの揮毫である『為国作見證(いこくさけんしょう)』その気持ちを我々は持って、御英霊の祭祀に参加して、関わらせていただこうと思います。以上です。
(2020年11月14日)

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