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大本事件と高橋和巳「邪宗門」
僕は、学生時代、まだサヨクだった頃、大本教弾圧を題材とした高橋和巳の「邪宗門」を読んで感銘を受けました。日ノ本救霊教として描かれた大本教が国家弾圧のなかで、四分五裂して別れていく。そのなかの一つとして、いかにもと分かる谷口雅春先生の生長の家と分かる団体がでてきます。その頃、生長の家の本部は京大から哲学の道に至る途中にあり、その前を歩いてあぁここがあの・・・と思っていたことを思い出します。京大の学生寮の中にも生長の家の信者がいて、左翼セクトから侮蔑されながらも、頑張っておられたことを思い出します。
天皇機関説事件後、体制翼賛体制に至る昭和史のなかには、やはり問題があったのは事実であり、敗戦後の思想的下克上の中には戦前に弾圧された日本的霊性の蘇りも一部あったのではないかと考えているところです。要するに、戦前を全部賛美することはできないし、戦後を全否定することもできない、という立ち位置に僕は立っています。
右派、右翼として指弾されることがしばしばですが、僕はやはり天皇機関説事件後~戦争に至る日本に対しては批判的な視点ももっています。時々、その辺りのところが、右派の仮面をかぶったサヨクだとして批判されるところなのだろうなと自覚しているのですが、右派ないし保守派は、あのころの日本、大本教の神殿を爆破したときの日本の在り方というものを、時々、見つめ返す必要もあるのだと思っています。
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京大助教授だった高橋和巳は、当時の左派(反日共系)学生の偶像でもあり、右派(原理研等)からも高く評価されていました。「我が心は石に非ず」「憂鬱なる党派」とか一連の著作を貪るように読んだことを思い出しました。今は、高橋和巳なんて若い人には読まれていないようですが、思想的「転向」をテーマにしていたことが、全共闘世代に受けた理由だったのかもしれません。
(2020/12/2)