那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(3)久米孔子廟と5本爪の龍柱
孔子廟裁判で問題となっている久米孔子廟は、かつて久米にあった孔子廟が戦災で消失し、戦後に若狭の天尊廟敷地内に天后宮などとともに再建したものを、平成25年に久米の市民公園に移設する形をとって完成したものです。久米孔子廟は、至誠門(しせいもん)と至聖廟(大成殿、啓聖祠)と明倫堂からなる建築物であり、周りはフェンスで囲われ、至誠門から至聖廟に至るまで広大な中庭が設けられ、その中央に石造りの御路(おんみち)が敷かれています。
至誠門は年に一度、釋奠祭禮(セキテンサイレイ)の時だけ開きます。そこから孔子の御霊が廟内に入ってこられ、御路をわたって大成殿(たいせいでん)に上り、そこで司祭たちから神饌・神酒などの饗応を受け、やがて提灯の明かりに先導されて至誠門から退出されるのです。その様子は、今でも久米崇聖会のホームページの動画で見ることができます。それは、本土のお盆、沖縄の清明祭を重厚にした宗教的色彩の強いものです。至誠門が孔子の御霊を招魂する釋奠祭禮のときにしか開かないことから判るように久米孔子廟は、釋奠祭禮の挙行を主たる目的とする施設なのです。それが宗教施設であることは明白です。
この久米孔子廟を市民公園に移設するという那覇市の計画は、福州園の設置や港の入り口に建つ巨大な龍柱とともに、この一帯を中華街にするという構想に基づくものでした。中華街計画そのものは頓挫したものの、当時の那覇市長、翁長雄志氏の肝入ですすめられたものでした。翁長氏が沖縄県知事に立候補し、突如、それまでの主張を一転して普天間空港の辺野古移転に反対することを表明し、オール沖縄を掲げて知事選に当選したのは、久米孔子廟を移設した平成25年の翌年のことでした。一連のプロジェクトのころからみられる翁長氏の異様な中国寄りの姿勢は、その後の彼の政治姿勢と無関係ではないように思えてなりません。
ところで、孔子廟の大成殿の正面に建つ2本の龍柱にある龍の爪は5本ですが、「五本爪の龍は、中国の皇帝と孔子にしか認められていません。」と久米崇聖会のパンフレットにも書かれていました。5本爪の龍柱は、そこが中国皇帝の直轄地であることを象徴するものなのです。金城テルさんが宗教施設である久米孔子廟の移設(実際は、5本爪の龍柱を配した孔子廟の建設です。)を明時代の図面を理由に尖閣が中国の領土だというのと同じ方法による沖縄侵略の野心の表れであると直感し、多くの那覇市民たちとともに、絶対反対を叫んで立ち上がったのはそのためでした。
以上
●固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件 最高裁判所大法廷口頭弁論要旨
●那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(1)
●那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(2)
●那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(3)久米孔子廟と5本爪の龍柱
●孔子廟訴訟 報道動画(1)
●孔子廟訴訟 報道動画(2)