第二次孔子廟訴訟判決の意味するもの
3月23日、那覇地方裁判所で第二次孔子廟訴訟の判決がありました。
昨年の最高裁大法廷判決において、那覇市による孔子廟の公園使用料減免処分は政教分離原則に違反しているとした事件。
判決を受けて那覇市は施設の所有者であり釋奠祭禮の主宰者である久米崇聖会に対し、年間577万円の使用料を請求し、過去6年に渡って3500万円が支払われました。
しかし、市民が使用するべき「市民の公園」において、憲法上の「特定の宗教団体」であると認定された久米崇聖会が孔子廟という「宗教的施設」を設置し、そこで釋奠祭禮という孔子の霊を迎える「宗教的儀式」を行うという事実は何一つ変わりません。
それでも那覇地方裁判所は、これを合憲だと判断しました。孔子廟の撤去こそ叶いませんでしたが、政教分離原則が、その程度のものだとして相対化したという側面においては、保守派にとって歓迎すべきところもあるというのが今回の考察です。
つまり
1 目的が宗教目的ではなく、観光や教育という公共的な世俗目的があれば、その効果において特定の宗教団体の宗教活動を容易にする効果を伴ったとしても、一般人の評価として特定の宗教団体に対する便宜供与とまではいえないというものです。
2 宗教活動を容易にするという効果の程度において決定的とされているのは公園使用料の支払いです。確かに、それは重要ですが、都市公園法上の公園において特定の宗教団体の宗教施設が設置され、宗教儀式が行われているということは、当該宗教儀式を「市」が支援していると捉えても不思議ではないと思われるのですが、公共目的があればそれでもいいということなのです。
3 靖国神社問題に引き直すと、靖国神社が行っている英霊祭祀は、確かに宗教的側面もありますが、同時に、戦没兵士の慰霊、英霊としての顕彰による日本という国家の独立性と永遠性の確認と象徴としての側面があります。「観光」の目的は不謹慎ですので出せませんが、「教育」の目的はあります。
「慰霊・顕彰」も世俗的かつ公共的な目的といえます。国家が殊更の財政的支援をするというものでなければ、あるいは財政的支援は、公共目的ないし世俗目的としての慰霊顕彰に対するものという構成をとれば、特段の問題はないということにできます。
4 目的効果論でも総合判断基準でも、最後は「一般人の評価」というところに帰着するわけですから、きちんとした「論」を日頃から打ち出し、それに大方の国民が納得しているという状況を作り出すことが肝要だと考えています。
みなさま、どのようにお考えになられるでしょう。僕は、日本国憲法は擁護すべきだという立場をとっていますが、あくまでも9条は自衛権を認め、自衛隊を容認しているものであること、1条は天皇を元首としている規定であると解釈し、政教分離規定は、日本の文化的伝統を歪めることのないものであって特定の宗教団体に「特権」を与えて国民に強制するようなものでなければいいという分かりやすい解釈論をたてることができるんじゃないかと思っています。
みなさんはどう思われますか。
ウクライナでロシアと闘い死亡した勇者たちを慰霊し顕彰することは国として国民として当たり前のことであり特定の宗教に基づくのではないことは、さすがの日本国民にもわかることではないでしょうか。
●固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件 最高裁判所大法廷口頭弁論要旨
●那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(1)
●那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(2)
●那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(3)久米孔子廟と5本爪の龍柱
●孔子廟訴訟 報道動画(1)
●孔子廟訴訟 報道動画(2)