「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために、私たちが真剣に考えるべきこと
1月末に漫画「セクシー田中さん」の作者である芦原先生が亡くなられるという痛ましいできごとがおきてから、既に一週間以上が経過していますが、その経緯をめぐる関係者の姿勢をめぐり、今も大きな議論が続いています。
象徴的なのは、6日の段階で漫画「セクシー田中さん」の出版社である小学館が、今回の件に関する経緯などを社外発信する予定は無いと社員向けの説明会を開いていたことが報道され、それに対する大きな反発の声が上がっていたことでしょう。
その反発を受けてかどうかは分かりませんが、8日になって、小学館の現場編集者が声明を発表するなど、対応する動きも出てきています。
今回の件が、最悪の結果になってしまったことを考えると、ドラマ「セクシー田中さん」の関係企業である日本テレビと小学館には、二度と同じ事がおきないように問題点を把握し、再発防止の対策をすることが必須のはず。
悲劇が報道された当初から、日本テレビがファンの感情を逆なでするような的外れなコメントを発表したことに端を発し、漫画のドラマ化に対する構造的な問題を指摘する声が次々にあがり、日本テレビや小学館に対して厳しい視線が投げかけられるのは当然の展開とも言えます。
ただ、一方で今回の悲劇を二度と繰り返さないために、私たちが真剣に考えなければいけないことがもう一つあります。
それは「怒りのスパイラル」をお金に換える、現在のメディア構造です。
漫画の映像化において構造問題があることは明白
既に多くのメディアで報じられているように、今回の悲劇が漫画の映像化において日本の業界が抱える構造問題を起点として発生したことは議論の余地がありません。
象徴的なのは、海猿の作者である佐藤先生が「死ぬほど嫌でした」というタイトルで、海猿の映像化の裏側についての記事を書かれたことでしょう。
同じような問題点の指摘は、多数の業界関係者から指摘されており、今後この問題の解決が明確に必要とされているのは間違いありません。
一方で、「セクシー田中さん」のドラマ化においては、最終的に芦原先生の意向が基本的には反映される形となり、最終2話については脚本家が芦原先生に交代する結果にもなっていますので、原作者が泣き寝入りをした過去のケースとは状況が異なります。
漫画の執筆とドラマの脚本を書くという超多忙な状況だったため、芦原先生としても完璧な形では無かったようですが、少なくとも芦原先生自らが最終2話の脚本を担当することで、多くの原作ファンが満足する形でドラマの放映は終了していたのです。
8日に公開された小学館編集部のコメントにも「弊社からドラマ制作サイドに意向をお伝えし、原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です。」と書かれていることから、ドラマ自体の最終的な完成度には芦原先生も納得されていたように読めます。
本来であれば、芦原先生が脚本を担当することになった背景を、わざわざSNSやブログに投稿する必要はない状況だったとも言えるはずです。
それにもかかわらず、芦原先生がブログに経緯説明を投稿する決断をし、最終的に最後の選択をする状況に追い込まれてしまったのは、別の要因が大きく影響していると考えられます。
それが昨年末の段階での小さな「怒りのスパイラル」の発生です。
ドラマ最終話放映前に蒔かれた怒りの種
芦原先生のブログの投稿自体が削除された関係もあり、一部のメディアでは今回の悲劇が芦原先生の1月26日の投稿を起点としているかのように報じているものが散見されますが、そもそもの悲劇の起点は、12月24日のドラマ最終話の放映までさかのぼります。
時系列で、今回の出来事を並べると下記の通りです。
■12月24日 脚本家の相沢氏がInstagramに「過去に経験したことの無い事態で困惑」した旨を投稿
■12月24日 最終話放映
■12月27日 一部メディアが相沢氏のコメントを引用し、最終回について批判的に記事化
■12月28日 相沢氏がコメントやDMへの返答として「最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。」とInstagramに投稿
■12月末 記事や相沢氏の投稿を起点にネット上で批判的な投稿が増える
■1月(この期間に芦原先生が小学館側と経緯説明について相談していた模様)
■1月26日 芦原先生がXとブログに「9話・10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情」について投稿
12月24日の最終話の放映前に、相沢氏が明らかに不満を感じていると見える投稿をインスタグラムに行ったのが軽率な行為であったことは間違いありません。
ドラマ放映中の脚本家交代というのは、脚本家からすれば明らかに悔しい結果だったのだとは想像されます。
既に前の週の17日の9話の段階で脚本は芦原先生が担当しており、9話放映後のクレジットでそのことに気がついた人もいたようですから、相沢氏としてはそうした質問に対する回答という趣旨もあったのかもしれません。
ただ、24日の段階では、この投稿はそれほど注目されていませんでした。
この投稿だけで終わっていれば、芦原先生がブログで事情説明の投稿をする状況にはなっていなかったとも考えられるのです。
メディアによる「怒りのスパイラル」の発生
おそらく重要な分岐点は、12月27日に一部メディアが、相沢氏のコメントを引用し「最終回で消化不良を起こした視聴者が続出」という内容の記事を掲載したことです。
この記事は残念ながら、ライブドアなどのポータルサイトにも転載されており、それなりの人数に届いてしまったようです。
それが影響して相沢氏にコメントやDMが届き、相沢氏が28日にさらに強い言葉で脚本を自分が書いていなかったことを投稿することになっていると想像されるわけです。
つまり、相沢氏が蒔いた小さな「怒り」の種や、ネット上に投稿された視聴者の小さな「怒り」の種を、メディアが大袈裟に記事化することにより、それに影響された読者の「怒り」が相沢氏にもむかい、相沢氏が強い言葉で投稿をすることになっているわけです。
その投稿は、またSNS上にさらなるユーザーの「怒り」の投稿を生み出すことになります。
こうしたネット上のちょっとした「怒り」をネタ元に、大袈裟な記事を作成する手法には、残念ながら多くのメディアが手を染めています。
最大の問題は、そうした「怒りのスパイラル」を起こして世の中の注目を集めれば、その記事がメディアにとって収入を生むという点です。
筆者も、こうしてネット上に記事を寄稿して原稿料を得ている立場という意味では、このスパイラルの一角にいる立場です。
自分としてはできるだけ、「怒りのスパイラル」に加担しないよう努めているつもりですが、実際に感じるのはポジティブな記事よりも、ネガティブな記事の方が明らかに読者が集まりやすいという現実です。
そのため、残念ながら少なくない数のメディアが、SNS上のちょっとした「怒り」の投稿を元に大袈裟な記事を作ることが増えているのです。
告発ではなく視聴者へのお詫び
本来、こうした記事は反論したり批判しても、相手の記事へのアクセスを増やしてしまうだけですので、無視をするのが最良の選択になります。
ただ、芦原先生にとって難しい構造になったのが、こうした批判記事がエネルギーとなり、視聴者の間に「セクシー田中さん」の脚本家が途中で交代したことへの疑問が一定数生まれてしまったことだったのだと考えられます。
実際に年末のSNS上の投稿をさかのぼると、脚本家の交代や、それによる最終話の影響について批判的な投稿が散見されます。
おそらく、脚本家の相沢氏が不満をInstagramに投稿しているだけなのであれば、芦原先生も出版社経由なりでコンタクトを取って事情を説明すれば済んだはずで、ブログ上で経緯を説明する必要はなかったはずです。
しかし、メディアの記事化によりその相沢氏の「怒り」が小さな「怒りのスパイラル」を生んでしまい、SNS上に視聴者の「怒り」を可視化してしまったことが、芦原先生を苦しめる結果になったと想像されるのです。
芦原先生は26日に投稿したブログの最後に、このように書かれていました。
このブログは、一部のメディアではテレビ局や業界に対する「告発」や「苦言」だと報道されていますが、実際の最後の文章を読めばそれが的外れであることが分かります。
このブログは、原作者の芦原先生が途中でドラマの脚本を担当するという、通常ではありえない選択をしたことによって、ドラマの終盤に不満を持った方に対しての経緯説明と、お詫び文なのです。
ポジティブよりもネガティブの印象が強くなる罠
実際のドラマ「セクシー田中さん」の最終話については、原作ファンの方を中心に多くの方が満足していますし、絶賛している記事も少なくありません。
しかし、芦原先生の耳には、一部メディアの批判記事を起点として、最終話の終わり方に不満の声をあげる一部視聴者の「怒り」の声が届いてしまい、経緯を説明する義務感を強く感じる結果になっていたものと思われます。
筆者自身も過去に、SNSの投稿でちょっとした炎上状態になり、複数の人に「怒り」の矛先を向けられたことがありますが、そうした状態になると普通の人には周りの人が全員敵になったような錯覚に陥るものです。
芦原先生にとってさらに不運だったのは、ドラマ「セクシー田中さん」の最終回の視聴率が下がってしまったことでしょう。
ドラマの視聴率は裏番組の影響もありますし、放送日が12月24日のクリスマスイブだったことを踏まえると通常週より下がって当然という考え方もあります。
むしろ、上記記事にあるように視聴率全体の途中経過を考えると健闘していたという見方の専門家も少なくありません。
しかし、自らが脚本を担当したことで芦原先生が最終回の視聴率低下と、不満の声に必要以上に責任を感じてしまった可能性は高いように感じます。
実際には、そうしたドラマに対する不満の声は全体からすればごく一部であり、全ての作品で必ずネガティブな声が出てくるものが、一部メディアにより大袈裟に拡張されたものでしかないのです。
ただ、脚本家を外して自らが脚本を書くという選択をしたことを気にされていた芦原先生にとって、見過ごせない声になってしまったのだと考えられます。
そのため、「9話・10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情」について小学館に相談の上、記事を公開することにされたのだと考えられるわけです。
芦原先生のブログの記事が削除されてしまった関係で、芦原先生の記事がまるで日本テレビやプロデューサーに対する告発文のように誤解している方がいるようですが、ブログの記事を全て読んでいただければ、芦原先生があくまで事実としての出来事を記述しているだけで、日本テレビやプロデューサー、そして脚本家を攻撃する目的で書かれた文章ではないことは理解いただけると思います。
もちろん、その内容を読む限り、日本テレビ側の対応が一般人からすると信じられない対応であると言う印象は強く受けますし、そこに業界構造の問題や芦原先生の無念を感じてしまいます。
その結果、多くのメディアがこの記事を「告発」や「苦言」と報じる展開になりました。
しかし、最後にお詫びと感謝の言葉で締められているように、芦原先生があの文章で伝えたかったのは明らかに視聴者に対するお詫びです。
だからこそ、芦原先生は自分の意図が誤解されたと感じ「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」と投稿して、ブログの記事やXの投稿を削除されることになったのだと考えられます。
巨大な「怒りのスパイラル」
しかし、芦原先生のブログ記事投稿後、事態は芦原先生の想像とは全く違う方向に展開します。
芦原先生にとって、ブログの記事はドラマ「セクシー田中さん」の脚本をめぐるトラブルや視聴者の不満に対する謝罪文でした。
しかし、多くのメディアにはその「謝罪文」は「告発文」と転換され、たくさんの過激なタイトルの記事が生み出されます。
それによって発生した様々な「怒り」のエネルギーが、告発系アカウントやメディアによって拡散され、巨大な「怒りのスパイラル」を形成していきます。
芦原先生がごく一部の視聴者の「怒り」を収めるために書いたはずの文章が、他の人に「怒り」をぶつけ攻撃するための材料に使われてしまったのです。
Yahoo!リアルタイム検索で、SNSの投稿数を振り返ると、26日の投稿後に「セクシー田中さん」が含まれる投稿だけでも8000件以上の投稿がされ、いわゆる炎上状態になっていることが分かります。
その後に、芦原先生の悲劇によって生まれた3万件近い投稿の山があるので、8000件が小さく見えるかもしれません。
しかし、26日以前のグラフがほぼゼロに近いことからも分かるように、昨年末の段階での小さな視聴者の「怒り」の声に対して、経緯を説明しなければいけないと感じた芦原先生にとって、この「怒りのスパイラル」は本当に手のつけられない台風のように感じられたことと思います。
特に芦原先生がXのアカウントを作成したのは、今年の1月であることを考えると、芦原先生がXの利用に慣れておらず、Xにおけるこうした炎上騒動の反響の大きさを事前に想像できていなかった可能性は高いと考えられます。
ご自身のブログが長く更新をしていなかったことから、ブログだけでは視聴者に届かないと考えてXへの投稿を決断されたようですが、想像をはるかに超えるスピード感での反響におそらく驚かれたことでしょう。
最近では、収入をあげるためにそうした拡散行為をする人たちが増えていることなども、芦原先生はご存じなかったかもしれません。
視聴者の小さな「怒り」を向けられただけでも、経緯説明をしなければいけないと真剣に小学館に相談するような芦原先生にとって、自らの記事が巻き起こした巨大な「怒りのスパイラル」が脚本家やプロデューサーに対して襲いかかる状況が耐えがたいものであったことは想像に難くありません。
生きづらさを感じる人に寄り添える作品
漫画「セクシー田中さん」は、そのタイトルや、ベリーダンスというテーマもあり、ラブコメディのドラマという印象を受ける方が多いと思いますが、芦原先生がブログの記事に書かれていたように「自己肯定感の低さ故生きづらさを感じる人たちに、優しく強く寄り添えるような作品」です。
筆者は今回の騒動がきっかけで漫画を読んだため、真のファンとは言えません。
ただ、作品に出てくる登場人物の一人が何かしらの生きづらさを感じており、その生きづらさを他の人物とのちょっとした出来事や、かけられた言葉をきっかけに乗り越えていくというストーリーは本当に素晴らしく。
この漫画に多くの人が救われたことは間違いないと感じられましたし、すっかり「セクシー田中さん」と芦原先生のファンになりました。
人間が感じる感情の奥深さを作品として表現できる芦原先生だからこそ、年末に発生したごく一部の視聴者の不満も、正面から自分事として受け止めていたはずです。
そんな芦原先生だからこそ、巨大な「怒りのスパイラル」が向けられた人たちの恐怖や辛さも、当然想像できてしまったはずです。
自分の子どものような存在であり「自己肯定感の低さ故生きづらさを感じる人たちに、優しく強く寄り添えるような作品」である「セクシー田中さん」が、はからずも、ほかの人たちを攻撃するきっかけになってしまったことで、芦原先生は「セクシー田中さん」という作品が傷ついてしまったと思われた可能性すらあります。
本当に無念なのは、芦原先生がそうした「怒りのスパイラル」に極限の生きづらさを感じてしまったときに、漫画「セクシー田中さん」の登場人物が、他のどん底の人物を救ってくれたような、小さな出会いや奇跡が起こらなかったことです。
筆者のような直接面識がない1読者ですら、その無念を強く感じているのですから、芦原先生の身近にいた方々ほど、その無念を痛切に感じているはずです。
「怒りのスパイラル」に取り込まれていないか
もちろん、芦原先生の本当の気持ちは御本人にしか分かりません。
ただ私たちが、ここで立ち止まって考えなければいけないのは、自分自身や周りの人が、その「怒りのスパイラル」に取り込まれてしまっていないかということだと思います。
今回の芦原先生の悲劇は、絶対に二度と繰り返してはいけない悲劇ですし、それに対する適切な対応を取ろうとしないように見える日本テレビや小学館に疑問を感じるのは当然の感情とも言えます。
しかし、その「怒り」に便乗して、対立を煽り「怒りのスパイラル」をさらに拡大しようとするメディアや告発系アカウントに「怒り」を煽られていないでしょうか。
最近になってSNS上の誹謗中傷投稿自体は違法行為であり問題だという認識が広がっていますが、実は明確な誹謗中傷の投稿でなくとも大量の「怒り」の投稿は、その受け手に対して同様なダメージをもたらします。
芦原先生の悲劇が明らかになった後、本当に様々な人たちに「怒り」の矛先が向かっています。
日本テレビや小学館だけでなく、脚本家やプロデューサー、そしてドラマの出演者達にまで大量の激しい言葉が投げかけられました。
さらには今回の問題について議論をした日本シナリオ作家協会や、脚本家の相沢氏の不満の投稿に共感のコメントをした方々まで、激しい批判の対象になってしまっています。
しかし、その批判は本当に芦原先生が求めている行為でしょうか。
「怒り」の種を大袈裟に記事化したり、派手に拡散して「怒りのスパイラル」で稼ごうとしているメディアや告発系アカウントの手の平の上で踊らされていないでしょうか。
その批判により新たな巨大な「怒りのスパイラル」が生まれた際に、芦原先生の悲劇が繰り返されないと言い切れるでしょうか。
芦原先生の悲劇を理由に、他の人たちに「怒り」をぶつける行為は、芦原先生を苦しめた原因に再度エネルギーを与えている行為になってしまうはずです。
「怒りのスパイラル」を止めるために
繰り返しになりますが、今回の悲劇が二度と繰り返されないようにするために、日本テレビや小学館の関係者が、二度と同じ事がおきないように経緯や問題点を把握し、再発防止の対策をすることは必須だと思います。
現在引き続いてしまっている「怒りのスパイラル」を止めるためにも、両者が丁寧に言葉を選んで経緯を対外的に説明することも、最終的には必要になるはずです。
一方で、今回の悲劇を二度と繰り返さないようにするために努力をするべきは、日本テレビや小学館だけではないとも感じます。
特に私も含めて、メディアに携わる人間は、今回の悲劇をきっかけに、より「怒りのスパイラル」を生む報道の是非について真剣に考えなければいけないはずです。
SNS上の誹謗中傷が違法行為であることの認識は日本でも広まりつつありますが、実はユーザーがその誹謗中傷を行う「怒り」を生んでいるのは、メディアの記事である場合が多くあります。
今回の悲劇の前後でも、本当に多数の過激なタイトルの記事が量産されつづけていますが、その記事は本当に必要なのでしょうか?
その「怒りのスパイラル」を生む記事を、Yahoo!やgoo、MSNやライブドアなど、大手企業が運営するポータルサイトが拡散することは本当に必要なのでしょうか?
私たちは、芦原先生の最後の投稿を、もっと真剣に受け止めなければいけないはずです。
今回の悲劇を二度と繰り返さないようにするためには、「怒りのスパイラル」をいかに止めていくかを、私たち一人一人が真剣に考えることも求められているように思います。
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