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ありがとうの幸せ
こんにちはトクです。本日もお読み頂きありがとうございます。
今日は、うつ病でも感じられる「幸せ」の第11回目になります。今回は「ありがとうの幸せ」について書いてみたいと思います。
うつ病を発症する以前は、なんでも出来るという自信があったので、他人を頼ることがあまりありませんでした。
ですから、他人に「ありがとう」と言う機会も少なかったのです。ところが、うつ病になってからは、自分で出来ることが極端に少なくなりました。
仕事はもちろん出来ませんし、家のことも出来ません・・・。自分自身のことさえ出来ない時期がありました。
そうすると当然、他人に頼らざるを得なくなります。必然的に「ありがとう」を言う機会が増えてきました。
毎日が「ありがとう」「ありがとう」の連呼です。
もっとも、うつ病の症状の酷い時には、他人に何かしてもらっても「ありがとう」の言葉が出てこない時期もありました。
その事を考えると、他人に「ありがとう」と言えるだけ症状が軽くなった証拠です。
本当にありがたいことです。
不思議と言うか、考えてみれば当たり前なのですが、他人に「ありがとう」と言っていると、してもらえる事が増えます。
自分が他人に「ありがとう」と言ってもらえれば、「また、してあげよう」という気にもなります。
とかく家族には、照れもあって「ありがとう」と素直に言えないこともあるのですが、一番ありがたいのは家族の存在ですし、一番頼りになるのも家族ですよね。
恥ずかしいのを我慢して、家族に「ありがとう」と伝えると家族の態度も変わります。
「なにもやらないダメなお父さん」から「なにもできないけど、いるだけで良いお父さん」になります。
また、「ありがとう」は病気のバロメーターにもなると思います。
「ありがとう」が言えない時は、病状が重い時「ありがとう」が言えるようになったら病状が回復した証拠。そんなことが言えると思います。
これは本当に不思議なのですが、形だけでも「ありがとう」と言っていると、本当に「ありがたい気持ち」になって来るんですね。
「ありがとう」を年齢×1万回言うと奇跡が起こる。という話しがあります。私の大好きな作家、故小林正観さんの話しです。
残念ながら、未だに年齢×1万回に達していないので、私には奇跡は起こっていませんが・・・。
でも、家族の私に対する目が変わったことは、ある意味奇跡なのかもしれません。
もしも、うつ病にならずに、元気なままでいたなら、私はきっと他人に「ありがとう」が言えない人間になっていた可能性が高いと思います。
それだけ以前の私は傲慢で自信家だったのです。
仕事にしても、他人の分までやったことはあっても、自分の仕事を誰か他人に頼むということが出来ない人間でした。
所詮、人間1人で出来ることなどたかが知れてるいるのにです。まったく、組織人としては不合格ですね。
自分に与えられた仕事を責任を持って行うことは当然ですが、自分が居なければ仕事が回っていかない・・・。そんな状況を作るのは組織としては良くないことです。
そうしない為にも、他人との協調関係は大事なことです。そのためには、常に周囲の人間に対して感謝の気持ちで接する。
そうすれば、いざと言う時に助けてもらえるのです。
私がパワハラを受けた時に、誰も助けてくれなかったのは、もしかしたら、私が協調性が足りなかったのかもしれません。
「ありがとう」が言えない人間に協調性があるとは言えませんもんね・・・。
まさか、自分のことが自分でできなくなるとは思ってもいませんでしたが、そのおかげで、他人に対して「ありがとう」が言える人間になりました。
他人に「ありがとう」が言えるということは幸せなことだと痛感しています。
やはり、人生には無駄がない。私にとっては、うつ病は必要なことだったのだと、あらためて思っています。
「ありがとう」が言える幸せを噛みしめながら。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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