鬼はどこにいるのか?
こんにちはトクです。本日もお読みくださりありがとうございます。
今回は「鬼」について書いてみたいと思います。
一口に「鬼」と言っても色々とあります。
西洋でいうところの「オーガ」とか「オーク」と言われる鬼もあれば、中国では幽霊のことを鬼と言うんですね。
最近では、「鬼滅の刃」など数々のマンガに出でくる鬼もいますね。
だから、一概に「鬼の正体」というテーマでお話しても「どの概念の鬼か?」ということになってしまいます。
今回お話する鬼とは、日本で昔からお馴染みの、虎のパンツで二本の角を生やし、色は赤や青で、金棒を持っている鬼のことです。
節分などでも出て来て、桃太郎などでも描かれているあの鬼です。
あの鬼のもては仏教に説かれている鬼なんですね。
青鬼の獄卒が罪人を痛めつけている様子が描かれた地獄絵図を見たことがあるでしょうか?
あれはどこかに鬼がいて、その第三者である鬼によって苦しめられているのではなく、自らの深い欲のために罪をつくり、その報いで苦しんでいるんです。
と教えられている絵なんですね。
お釈迦様は、人間の「欲」と「怒り」と「愚痴」を、赤鬼・青鬼・黒鬼と教えています。
欲の心が青鬼に喩えられるのは、海の青さを表しています。
海の色は深さを増すほど青みを増します。
浅瀬は、まだ透明だったり薄い水色ですが、沖に行くにしたがって濃い青色になりますね。
青は深さを表していて、欲が青に喩えられるのは、欲の心がどこまでも深いからです。
怒りの心が赤鬼に喩えられるのは、炎を表しています。
カッとなると前後の見境がなくなって怒りをぶちまける。
そして、後は野となれ山となれ、相手だけではなく自分も焼き尽くします。
恨みや妬みの愚痴が黒鬼に喩えられるのは、どす黒い醜い心だからです。
他人が不幸な目に遭うといい気味だどほくそ笑み、幸せにしていると苦々しく思う。
なんとも醜い心だから黒鬼と喩えられるのはんですね。
鬼は決してどこか外にいるのではなく、自分の心の奥底にいるのが、この青鬼・赤鬼・黒鬼なんですね。
では、いったいどうしたら鬼の心を持った私達人間が幸せになれるんでしょうか?
これこそが、お釈迦様が生涯かけて教えられたことでした。
これこそが仏教なんですね。
うつ病のおかげで、仏教を見直して、少しずつですが勉強をしています。
上記のお話は、私の仏教の師である菊谷先生の言葉です。
イスラム教より良く生きるために、何かの参考になれば嬉しいとの思いから、引用させていただきました。
それでは最後までお読み頂きありがとうございました。