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うつ病のおかげで知ったこと(家族がいる幸せ)
こんにちはトクです。本日もお読み下さりありがとうございます。
今回は「うつ病のおかげで知ったこと」の第4弾として「家族がいる幸せ」について書いてみたいと思います。
「うつ病」になって失ったものがたくさんあります。
中でも最大なものは、やっぱり仕事ですね・・・。
公務員という安定した職業を失ったこと・・・。
パワハラで「うつ病」を発症したのに、誰も責任を取ってくれません。
「うつ病」になった方が悪くて、パワハラをした方には何のお咎めもない・・・。
確かに、「うつ病」のために仕事ができなくなり職場の人達には迷惑をかけました。
パワハラ先輩の他にもワガママ先輩がいて、自分の仕事を全部押し付けられました。
そのせいで、「うつ病」を再発させてしまいました・・・。
少なくとも自分と心療内科のドクターはそう思っています。
でも、パワハラ先輩もワガママ先輩も人並みに出世しています。
自分だけが、休職を繰り返して「うつ病の人」というレッテルを貼られました・・・。
そして奇異な目で見られました。
「うつ病」になる前の自分は自信満々でした。
自分にできない仕事などないと思っていました・・・。
周りや上司の評価もそれなりにあったと思っています。
人事の評価が高かったからこそ、行かされた全国レベルの研修もありました。
全国の自治体から100名が選ばて10日間缶詰めにされて朝から晩まで研修を受けました。
夜は班ごとに分けられてテーマを決めての勉強会です。
研修の最終日には小論文を書かされて、それに合格しないと研修修了書をもらえません。
そんな厳しい研修でした。
研修を無事修了すると小論文に順位を付けられました。
1位と2位の小論文は書籍として全国の自治体に配られます。
私の順位は3位でした。
後で人事に送られて来た修了書に「今回の研修は非常にレベルが高かったので本来なら1位にしてもおかしくない小論文ですが3位とさせて頂きます」とのコメントが付けられていました。
なんだか自慢話になってしまいましたが、それだけ仕事には真剣に取り組みましたし勉強もしました。
それが、ほんの数ヶ月間のパワハラですべてが「無」になりました・・・。
職場を変えてもらっても、あのパワハラと「うつ病」の辛さと苦しさを忘れることができなくて・・・。
無意識にブレーキをかけていました。
ブレーキを踏むと休職に逆戻りです・・・。
自分が弱いからブレーキを踏んだのかもしれません。
公務員を辞めて介護の仕事に就きましたが、収入は公務員時代の半分以下です。
それを考えると「うつ病」で失ったものは、公務員というステータスとお金です。
唯一残ったのが家族です。
一度は妻から離婚を言い渡されましたが、なんとか思いとどまってくれました。
もし「うつ病」になるのが独身の頃だったら・・・。
きっと結婚もできずにいたと思います。
それを考えるとラッキーだったのかもしれません。
ステータスもお金もなくても家族がいてくれるおかげでなんとか生きて行けます。
自殺未遂はしましたが・・・。
しょっちゅうケンカしていますが、ケンカできる相手がいる幸せを感じています。
失ったものも大きいのですが残ったものは、もっと大きかった。
そう思っています。
今はただ、家族に感謝、感謝です。
それでは最後までお読み頂きありがとうございました。
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