![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/97558718/rectangle_large_type_2_5061d04069e2decd5114106617f6673c.jpeg?width=1200)
ティツィアーノの『ウロビノのヴィーナス』という絵についての感想(2023/2/8の日記)
『西洋美術史ハンドブック』という本を最近読んでいる。この本は様々な時代の画家について時代とともにザックリ解説してある。じっくり読むと言うよりかは気になる部分だけ読んでいるという感じだけど面白い。
.この本に載っている中でも一番目を引いたのはティツィアーノという画家の『ウルビノのヴィーナス』という絵だ。どういう絵か気になる人は以下のURLを参照(wikiのURL)。
この絵はどうにも意味深な絵である。ヴィーナスが全裸で寝てこちらを煽情的な目線で見つめているという絵だ。背景の左半分は黒でベタ塗りされており、右半分は2人の女性が向こうを向いて何かを探している様子が描かれている。
どこが異様なのかと言うと全裸で煽情的に見つめているヴィーナスと後ろの使用人と思われる人たちとのアンマッチ具合である。
端的に言えば「どういう状況なの?」ということだ。
ヴィーナスが煽情的にこちらを見つめているということからこの絵の光景を見ている存在が絵の中にいてその存在をヴィーナスが見つめていると構図になっていると思う。
そうなるとその存在が男だとしても女だとしてもどういう状況なんだろうという疑問が生まれてくる。そういう存在がいるのに後ろの2人がまったく気にもとめてないし違和感がある。そういう存在者がいないという想定もできるかもしれないけどそうだとしてもヴィーナスの目線がなぜこちらを向いているのかがわからない。
この絵の元ネタの模倣元であると言われている『眠れるヴィーナス』という作品では描かれているヴィーナスは寝ている。目を閉じているのでこれに関して言えば単なるヴィーナスを描いているだけに見える。単にヴィーナスを描くだけならこういう感じで十分だと思うのだ(もしくは明後日の方向を向かせるという感じ)。
だからこそ『ウロビノのヴィーナス』でヴィーナスがこちらを向いているのは明らかに存在者を想定しているように思えてしまう。
そしてそういう存在者があると仮定し、「ヴィーナスが煽情的な目線で見つめている」と「時代背景」を考えるとティツィアーノが想定しているこの絵の光景を見ている人物は男であるように思える。すなわち性行為の直前なんじゃないかということだ。
この絵は一応ヴィーナスを描いていることから宗教画だと思われるけど、目線と肉体から明らかに情欲を喚起するように描かれていると感じる。そういったところからも観察者は男なんじゃないかと思う。
ではなぜこの空間に男がいるように仕向けているのか?
それは「日常空間と性的な空間とのギャップ効果でより性的感情を喚起させるため」だと個人的には思う。
右側の背景に描かれているのは使用人と思われる人物たちが何かを探している日常空間である。そういった日常生活が行われている空間で性的な行為が行われているというギャップでより性的な感情は喚起されるんじゃないかと思う。
俗っぽい話になるけど快楽天というR18の漫画雑誌でも同じような効果を狙っていると思われる作品はあった。性行為中のコマの群れの中に1~2コマだけ日常風景を混ぜる。そうすることで「日常の裏でこんな性行為が行われているんだ……」という観念を与えられギャップにより性的感情がより高まることを狙った描写である。
そういう観念が与えられても性的感情が高まらない人もいるかもしれないけど、そういうギャップに対しての面白さは感じるんじゃないかと思う。なのでヴィーナスもそういう効果を狙っているんじゃないかなーと勝手な推測だけど感じた。
「そんなバカな意味合いの絵を大芸術家であるティツィアーノが描くわけないだろ!」という批判もあるかもしれないけど煽情的な絵として描いているように見えるのでそんな高尚な意味はないんじゃないかなーというのが個人的な所感。ただ自分は今日初めて彼の絵を見たばかりなのでティツィアーノの絵をいろいろ見ていくうちにもっとこの絵も深堀れる可能性はある。
ここまで全部完全に自分の妄想だけど自分としてはそういう異様さが面白いと感じたのでこの絵に惹かれてしまったというのはある。こういう見方が正しいかはわからないけど明らかに異様な絵であることは間違いないのでそこが面白い。
異様と言えば今回読んだ『西洋美術史ハンドブック』には載ってなかったけどネットで調べて出てきた『聖愛と俗愛』という絵も異様だ。その異様さの詳細については後日に気が向けば書こうと思うけど意味深な描写がたくさんある。
ざっと『西洋美術史ハンドブック』を読むと14~16世紀の画家はほとんど素直な感じだけどティツィアーノだけはなんとなく異様なものを感じる。直接的なモチーフを描いているんじゃなくて間接的に何かを伝えかけているような何かを感じる。
他に気になった絵だともっと時代が後になる。ティツィアーノ以外だとエドゥワール・マネの『フォリー・ベルジュールの酒場』が気に入っている。あとこの本には載っていなかったけどカミーユ・ピサロの『モンフーコーの刈り入れ』も結構好き。
この好みの傾向からすると自分は写実的なだけの絵よりも何か異質なものが読み取れる絵の方が好きなのかもしれない。絵については今回鑑賞してみて面白いと思ったので継続的に見ていこうかなぁと思う。