いざ、ふれあい文庫へ
そういうわけで私は8月某日、ついに岩田さんに会いにふれあい文庫を訪問した。肥後橋の人通りの少ない(お盆休みだったからかもしれない)通りにある小さなビルの2Fだ。(このマガジンの表紙を見て!)
扉を開けるとすぐに岩田さんが目に入った。雑誌で見た通り岩田さんは、おしゃれで明るいオーラの持ち主だった。耳に揺れる白いイヤリングが印象的だ。
(見えない人がおしゃれをするというのはどういう気持ちなのだろうという素朴な疑問が湧いた。見える人に対しての心遣いなのだろうか。それともおしゃれをすることで自分の心持ちが変わるのだろうか。そのうち聞いてみたい)
私は実際にてんやくされた絵本を手にしながら、早速岩田さんに文庫についてお話を伺った。点字もさることながら絵本の絵に沿ってカットされたビニルシートに触れるにつけその作業の大変さに思いが至る。
見えない人にも見える人と同じように絵本を楽しむ機会を
盲人が新しい絵本に出会う手段はほぼないのです、と彼女は言った。確かに言われてみればそうだ。本屋に出向いてももちろん何が並んでいるのかわからないし、絵本の書評というものもあまりない。
「だから私たちは、この文庫を利用される方に年齢性別をお聞きしています。貸し出していた絵本が返却されたら、そのお子さんに合った絵本、その季節に合った絵本をまた送るのです」私は素敵だな、と心動かされた。誰かが自分のために選んでくれた絵本だと思うと、絵本を読む喜びはさらに大きなものになるだろう。
このてんやく絵本は学校や図書館にも貸し出されていると聞いて、私は思わず「無償でですか?」と聞いてしまった。「そうです、見える人がただで借りられるものが見えないから有料で借りなければならないということはあってはならないです」と彼女は毅然と言った。私は借りる個人は無償で借りられるべきでも、団体はしかるべきお金を払っててんやく絵本を準備するべきではないかと思ったのだがその時は言葉が出なかった。ただ、彼女の強い意志は感じることができた。「無償でできなくなったらやめます」とまで彼女は言った。
新しいホームページに期待すること
私は当初、現行のサイトを作り運営されている方にお会いするのを少し怖いと思っていた。誰だって自分が作ったものを急に現れた人が「作り直します」と言い出したらいい気持ちはしないだろう。
しかしお会いしてみると実直な雰囲気の彼は、快く受け入れてくれた。
私は彼に、ホームページが新しくなることのメリットをいろいろ伝えようと試みた。ただ「見やすくなります、使いやすくなります」の一点張りでは失礼に思われたので、他のアプローチをしたかった。
蔵書検索
すると彼の方から「蔵書の検索ができたりするのか」とお話があり、なるほど、と思った。確かにこれだけの蔵書があっても、何があるのか外部の人からはブラックボックスでは利用しにくいに違いない。蔵書のデータ化から取り組む必要がありそうだが、これはぜひ対応したいと思った。
誰でも更新できるように
私から話した内容で彼の気を引いたのは「誰でも更新できるようになる」点だった。今まではサイトの更新は彼に一任されており、負担になっていたようだ。
私は最初からWordPressで作って更新が必要な箇所は誰でも触れるようにしておくつもりだった。
誰でも更新できると、休館のお知らせは事務所で更新できるし新着絵本のお知らせはボランティアさんが更新できる。サイトの情報を常に最新に保つことができるし、文庫の情報をサイトに集約することができる。そのための体制づくりは必要だが、「あそこを見れば文庫のことが全部わかる」状態に保てることは彼にとっても岩田さんにとっても嬉しいことだったようだ。
見える人も見えない人も楽しめるサイト
現行のサイトはそもそも見えない人を前提にしており、画像はほとんど使われていなかった。
けれど見えない人代表(?)の岩田さんの立っての希望は「見える人も見えない人も楽しめるもの」だった。岩田さんらしい視点だと思う。それは私もまったく同意見で、見える人が見えない人を排除してほしくないのと同じように見えない人も見える人を排除してほしくないと思った。それに見える人も見えない人も自分ごと化できることが文庫の発展に必要だろう。「何をしている団体か」が一目でわかれば協力してくれる人たちはもっと増えるしより深く理解してもらえると確信していた。コンテンツによっては見える見えないに関わらず訪れたいサイトになるかもしれない。「絵本」をキーワードに見える人見えない人が繋がれたらそんな素晴らしいことはない。
私はこの辺りで情報過多で消化しきれなくなり笑、持ち帰ってどのようなコンテンツが必要か私なりに考えてまたご連絡します、と言ってふれあい文庫を後にした。お土産にもらったエビせんべいを持って。
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