作品としてのSNS
前置き
SNSは絵画や文章など、自分の表現を披露する場として広く使われています。
自分で描いた絵を載せて、レスポンスがもらえる場所として、最も使いやすいのがSNSです。
絵だけではなく短歌や俳句、エッセイといった自分の文章を知ってもらうきっかけづくりも行えます。
ブログも広義的にはSNSに含まれ、文章を書く人たちの中でもSNSで自分の実績を積むということは当たり前になってきているように感じます。
ハッシュタグを使って絵を描く人とつながったり、文章を創作する人とつながったり、自分の人脈を広げることができるのもSNSのよさです。
そういった絵や文章などをSNSで披露しているひとびとが、どんな風にSNSを駆使しているかについて今回は見ていきたいと思います。
作品としてのSNS
近年、SNSは自分の作品を投稿する場として大きな力を持っています。
写真投稿ではinstagramやpinterest、文章であればTwitterやnote、動画であればYouTubeやTikTokなど、棲み分けがなされているのもひとつの特徴です。
(もちろん、instagramに文章を投稿する人もいれば、Twitterに絵画や写真を投稿する人もいますが、この場合まずはベースとなっている画像媒体なのか文字媒体なのかで分けています。)
そういった作品群がSNSで投稿される場合、作品の良さを伝えるために、自分自身の情報は省いている投稿が多く見られます。
これはどういうことかというと、例えば年齢だったり性別であったり、なにが好きでなにが嫌いか、自分をどうアピールしたいかなど、そういった情報はひとまず置いておいて、作品のよさを伝えるための投稿にのみ終始しているという意味です。
例えば絵を描いているひとである場合、「この絵を見てください」「こんなリアルに描けました」「こういった漫画です」など、作品のPRだけをしているアカウントが多く見られます。
そこに、自分の思想や私生活を混ぜ込むのではなく、自分の作品だけをPRするのです。
instagramやpinterestといった画像投稿の場ではそういった面が強く、自分の写真や絵画、漫画などを載せることでフォロワーを獲得しています。
こういったアカウントでは、日常生活も投稿されている場合もありますが、多くは写真アカウントとして、絵画用の作品アカウントとしてつくられています。
元々は交流の場としてつくられたSNSが、個人個人の交流ではなく作品対個人の交流という関係性になっていると言えるでしょう。
ライフスタイルとしての発信
ではライフスタイルを発信しているひとはどのくくりに入るのか?と疑問に思われた方もいると思います。
ライフスタイルを発信しているひとの場合、「切り取った瞬間」を発信していると言えます。
つまり、自分自身の生活をすべて公開するのではなく、生活を切り取って自分の生活をアートとして公開しています。
夕方の風景、ピクニックの光景、可愛い服、もらったアクセサリーなど、発信する写真について選択を行ない、演出したい自分、見せたい自分を形作っていきます。
自分自身の生活を、作品として演出していると言えるのです。
こういったひとびとにとっても、SNSは友だちづくりの面より、自分の作品を投稿する面の方が強く見られます。
こだわって加工した写真や、いわゆる「映える」スポットに行くことも、自分の作品を強化するための行動だと言えるでしょう。
作品と自分自身の切り離し
作品と自分自身が切り離されている、ということについてもう少し詳しく見ていきます。
自分自身が切り離されているというのは、作品としての評価と自分への評価が必ずしも一致しないことを指します。
もちろん、自分のアカウントですから、自分への評価として受け取ることも可能です。
しかし、ここではあくまでもアカウントが「作品」として見られていることについて言及しているので、自分の持つアカウントは作品のひとつと言えます。
ハンドルネームを使っているということもそうですし、自分の写真を加工してアイコンにしていたり、イラストやアニメアイコンしたり、そのアカウント自体、自分が作り上げた作品です。
私たちは選択によってSNSをつくっています。
どんなアイコンにするか、どんな写真を投稿するか、どんなキャプションをつけるか、どんなツイートをするか。
そういったことに対して、自分が「見られるアカウントである」ということを無意識のうちに意識して投稿しています。
自分のためだけにつぶやく、ログのためにつぶやくというひとももちろんいますが、多くはSNSで反応をもらえることを期待します。
それは相手を意識した投稿になり、作品としての投稿になるのです。
文字媒体では
絵画や写真、漫画については見てきましたが、文字媒体ではその毛色が変わってきます。
Twitterなどでは、相手を意識した投稿であり、反応をもらえることで「リプライ」がうまれます。
自分自身のひとりごとのようなものに、相手からの意見が寄せられるのです。
相手から意見をもらうと、それに呼応する形で、私たちはまた返答をします。
返答せずとも、その反応に対してわずかでも気持ちが動くことは確かです。
そういった言葉の応酬によって、新たな作品が作られていくのです。
もちろんinstagramなどの写真をベースにした媒体でもコメント機能はありますが、Twitterではリプライに答える形でどんどん会話が進んでいくので、Twitterの方が速度が速く、文字媒体として代表的な例であることから、ここではTwitterでの説明をしています。
また言葉においては、わざとひらがなを使ったり、難しい漢字を多用したり、一人称を普段の話し言葉とは変えたりなど、自分の演出をしやすいものです。
ある意味、自分がなりたい人物になりきって、自分の作品を投稿していく。
それは自分自身の名前やアイコンにしていても、SNS上の自分の分身を作っているということです。
それになりきり発信する言葉は、作品としての色を持ちます。
つまり、私たちが演出したいカラーに染まっていくのです。
匿名クリエイター
今まで話してきた作品づくりについて、最も作品として投稿しているのが「匿名クリエイター」だと言えます。
前述したラファエルやAdoなど、匿名で活動しているひとびとは、まさに自分自身を演出した作品づくりです。
彼らは自分の正体を明かさず、演出したい自分を作り出し、コンテンツを練り、投稿しています。
なりきりというのが一つのキーワードと言えるでしょう。
仮面をつけたり、イラストで顔を出さずに歌ったり、自分と「演出する自分」とのスイッチングが彼らにはあるはずです。
こうしたSNS上のコンテンツは、自分自身の生活を発信するのではなく、作品として投稿されていると言えるでしょう。
まとめ
作品としてのSNSを見てきましたが、instagramや Twitter、YouTubeなどでそれぞれ別のカラーがあることが分かります。
ただ、全てに共通することは「投稿は作品づくりの一環である」ということです。
演出したい自分を観客に見てもらい、作品とし評価してもらう。
この考え方は、時にアンチが来たとしても「作品の評価である」として割り切ることができます。
自分自身とSNSを紐付けて考えてしまうと、批判的なコメントに落ち込むこともありますが、作品としての評価だと考えれば自己評価とはつながらなくなります。
私たちは日々SNSで作品を作っている、そして作品を作ることで他者とつながっている。
私はそんな風に考えます。