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私は生きて大人になる

私は今19歳。

時と場合によって、子供にもなれるし、
大人にもなれる。

小学1年生から見た小学6年生は
本当に大きな背中をしていて
怖い大人だった。

小学6年生になったら、
全然そんなことはなかった。
あ、意外に私6年生だけど大人じゃない。
そう思った。

6年生から見た中学生なんて
大の大人で、なんでも知っていそうだった。
それも、違かった。
イジメや孤独と1番向き合う期間が多い、
超子供だった。周りも、自分も。

中学生から見た、高校生。
本当に華やかで、在り来りだけど、
青春ど真ん中の出来事が毎日起こると思っていた。けど現実は毎日寝ながら授業受けて、バイトをこなすだけだった。

高校生から見た社会人。
なんだか、分からなかった。
難しくて、想像が出来なくて、
一生来ないものだと思っていたのかな。
すごく、世界が変わる気がした。
今度こそ、ちゃんと大人だ、と思った。

やっぱり何も変わらなかった。

今20代の人も、
30代の人も、40代の人も、50代の人も、
年齢はただの数字に過ぎないんだな、
と感じる。

私がなりたい大人は、
思いやりがあって、周りの変化に
すぐ気づけるような、周りが
生きやすい環境を作れる人。
仕事中話しかけやすい人。

高校のバイトの時から
「仕事中話しかけやすい」は
かなり意識していた。はずだった。
同級生に
「バイト中の○○(私)は怖いからなあ笑」
と言われ、まっったくそういうつもりがなかったので本当にびっくりした。
話しかけやすい空気を出そうと意識しても
そう言われるなら、本当にそう出来ることは
めちゃくちゃ難しいことなのだと感じた。




私は転校ばかりの学生時代で
幼なじみもおらず、親友と言える人もいない。
ただ、家族だけが私の全てだった。

そんな中、転校先であった
いじりを超えてしまったイジメ。
凄く辛かった。先生にも言えない。
イジメられたことで友達も全員いなくなった。
信用していた子も。
家族には転校した事で
友達関係心配されているのに
余計な心配かけたくない。

手の甲がアザだらけなのを
必死に隠す日々だった。

家に帰って、気づいたら
台所の包丁に手が動いていた、
そんな日もあった。
お腹に突きあてた時もあった。
屋上から飛び降りようともした。
友達もいない、家族にも話せない、
私にはなんにもない。

私が小さい頃からずっとずっと仲良しでいた
おじいちゃん。一緒に畑耕して
ダンスして、どこ行くにも一緒だった。
そんなおじいちゃんがそんな時に亡くなった。

「人の死」というものを初めて経験した。
ニュースで見る見ず知らずの誰かの死は、
私にとって、現実じゃなかった。

初めて現実に感じる家族の「死」が
1番大切で私の心の安定剤だった
祖父だなんて。

人生で初めての絶望感だった。
そんな祖父と対面する直前
扉を開くのに時間がかかった。
扉の前で怖くて怖くて呼吸が出来なくなり
扉は開きたくないのに、早く会いたかった。
よく分からない、あの、絶望感は、
今でも体が覚えている。

それから1年程経ち、
私の祖母も亡くなった。
祖父は事故死だったが、祖母は病死だったので
覚悟は出来ていた。
ある年の12/31にICUに緊急入院し、

「あと数時間持つか分かりません。
延命措置として人工呼吸器付けますか?
付けたら、もう外すことは出来ないと思います」

そう、お医者さんに言われた。

しかしそれから祖母は3ヶ月生きた。
人工呼吸器も外して、
喋れて、ICUも退院した。
生命力の高さへの驚きと、
奇跡は本当にある事を知った。

おじいちゃんの時に言えなかった
「ありがとう」を
まだ暖かい手を強く握りながら
耳元で何回も伝えた。


そこからまた約1年、
めちゃくちゃ元気だった叔父が亡くなった。
まだ60歳。若い。
なんだか、私にとって1番リアルだった。
誰がいつ死ぬかなんて分からない。


ここ数年のイジメ、自殺行為、
家族が連続で居なくなってしまう。

色んな辛い事がまだ、
「思い出」としてまとめるには
私にはまだ時間が浅くて、
ついこの前の話のようで、
強い辛い記憶になってしまっていて、
泣きながら文章を打っている。

周りが中学、高校時代、楽しんでいる中
私は常に「死」と向き合っていた。
人一倍生死に関して敏感になってしまうし
ニュースで誰かが亡くなったニュースを見ると
泣いてしまうのであまりニュースを見れなくなった。

けど、

私は生きる選択をした、
あの中学2年生の冬から
少し大人になった19歳の夏 現在。
何故だろう、こんなにも苦しいのに。
年々、生きるのが楽しくなっている気がする。

人との出会いが私を変えてくれ、
心に少しの余裕をもたらしてくれているのかも。

私はどんな大人になるんだろう。

いつか「強い辛い記憶」ではなく
「自分を強くしてくれた思い出」
と話せる日が待ち遠しい。

生きていると思っていなかった20歳が
もう目前にきている。

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