それでも世界が続くなら
何かを嫌いになることも、誰かに嫌われることも、悪いことだと思っていました。
だから学生の頃、興味がないバラエティー番組やドラマをみて友達の話題についていこうとしたし、みんなが知ってそうな曲ばかりカラオケで歌って、変なやつだとは思われたくないから、好きな食べ物を芋けんぴとは答えたりもしなかった(芋けんぴについてはまたお話ししますね)。みんなが言うみんなが僕にはとても遠く感じた。こんなに近くで笑っているに、何も届いていない気がして、そんな自分がおかしいのだと思って、愛してもらえるような僕を、僕を殺して生み出した。今思えば中身なんてあるはずがなかった。だってそこに僕の心は存在しないのだから。笑っていても、泣いていても、何も感じていない、ただそこにいるだけ、みんなといるだけ。そんな自分のことが大嫌いだった。他の何かを嫌いにならない代わりに、そこに向けられるはずだった全ての"嫌い"が僕に向けられたから、何をしても許せなかったし、僕だけがずっと間違っていた。自己嫌悪、自暴自棄、疑心暗鬼。そんな僕のことを優しくぶっ壊したのが『それでも世界が続くなら』というバンドの音楽でした。当時の自分は人として最低だったと思う。それは性格が悪いとかそんな話じゃなくて、何も大切にできない、何も望まない、そんな人間だったから。
誰からも嫌われていない人なんていない。
そんな当たり前のことに、僕は気付いていなかった。嫌われるのは怖いよ、当たり前、好きになってもらえるのも嬉しい、それも同じ。何が悪くて、何が正しいとか、本当はどうでもよかった、だって、そいつが悪いから僕は嫌いになったわけじゃないし、あいつが正しいから、友達になりたかったわけじゃなかったから。
どこを見ても「好きになって。」が溢れている世界で、「好きじゃなくてもいい。」と歌うそれせかはきっと正しくはないけど、当時の僕にとってどんな音楽よりも本物だったし、味方だった。それせかのおかげで今の僕がいるなんて言ったら、きっとボーカルのしのさんは「お前が頑張ったからだろ」って言って僕の背中を叩く(いい音が鳴る)けど、今でも僕は感謝してるし、かけがえのないものの一つです。