安藤美紀夫『いつか、お母さんを追いこす日』
この連載では、1980年代に話題になり、今は書店で手に入りにくくなっている作品を紹介していきます。
安藤美紀夫は、野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞、赤い鳥文学賞など幾つもの賞を受けて話題になった『でんでんむしの競馬』(1973年)をはじめ、たくさんの作品を残しています。イタリア児童文学の翻訳家でもあり、児童文学の研究や評論でも活躍し、後には大学教授として後進を育てるなど多彩な活動をしましたが1990年に60歳の若さで惜しまれながら亡くなりました。この作品は、彼の晩年の秀作です。
北海道のオホーツク海に近い山の中に住む小学3年生の友子は、モユと名付けて可愛がっていたタヌキがいなくなってしまい、夜になっても帰ってこないので心配で眠れません。朝になってもまだもどらないから、学校に行っても友子は上の空。
友子の学校は町から遠く離れた山中で、1年生から6年生まで合わせても児童は11人しかいません。先生は友子のお父さんの他、校長先生だけ。
町の学校の先生だったお父さんは、友子が小学校に上がる前にこの学校に転勤して来たのです。集落は太平洋戦争の後にできた開拓地で、一時は多くの家族が住んでいましたが、暮らしが大変なために離村する人が後を絶たず、子どもの数も減る一方です。
でもお父さんは町の学校よりもここがお気に入りで、鳥や動物や植物を調べたり写真を撮ったり、春先の山菜に舌鼓を打ったり。
タヌキを飼い始めたのは、お父さんが転任してきた最初の夏休み。友子は隣の家の友だち兄弟と一緒にお父さんの案内で森に遊びに行き、足を怪我して動けなくなっていたタヌキの子どもを見つけ、お父さんが家に連れて帰って傷の手当てをします。北海道に古くから住んでいるアイヌの人たちが、タヌキのことをモユク・カムイと呼んでいたことから、お母さんが子ダヌキにモユちゃんと名まえを付けました。
はじめのうち、何も口にしなかったモユちゃんに、友子が必死でヤギの乳をのませると、友子の膝の上で安らかに眠り込んでしまいます。お父さんはそれを見て、「友子をおかあさんとまちがえたのかもしれない」といいます。それで友子は「そうだ。あたし、今日から、この子のおかあさんになるんだ」といい、それから何日もたたないうちに、モユちゃんは友子と一緒に寝るようになったのです。
モユちゃんはすっかり友子になついて、小学校に入学すると学校にまでついて来て、授業が終わるまで教室の入り口に座って友子が出てくるのを待つようになりました。そのうち、友子が勉強している間、グラウンドへ出たり校舎の周りを回ったり、近くの林で一人遊びをしたり。モユちゃんは村中で評判になり、テレビ局も取材に来ました。ところが…。
北海道の自然を舞台に、傷ついたタヌキとそれを愛しむ少女の成長を追いながら、野生に目覚めたタヌキとの別れを、少女の自立に重ねてしなやかに描いた、心にしみる傑作です。
『いつか、おかあさんを追いこす日』
安藤美紀夫 作
初版 1988年
小峰書店 刊
文:野上暁(のがみ あきら)
1943年生まれ。児童文学研究家。東京純心大学現代文化学部こども文化学科客員教授。日本ペンクラブ常務理事。著書に『子ども文化の現代史〜遊び・メディア・サブカルチャーの奔流』(大月書店)、『小学館の学年誌と児童書』(論創社)などがある。
(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」 2023年11月/12月号より)